『ソー:ラブ&サンダー』はなぜ観客に混迷した印象を与えたのか? 作品の“価値”を考える

 とはいえ、いま公開されている作品に、それが反映されているわけではない。本作の訴求力が弱いと感じる観客が多いというのは、われわれがいま体験している現実の脅威が、より切迫したものになっているからなのではないだろうか。そんなときに『マイティ・ソー』シリーズの新作が発表され、新たな神々やジェーンによるマイティ・ソーが登場したのだから、なおさら混迷した印象を観客に与えることになったのは確かだろう。

 社会性といえば、本作でその役目を引き受けたのが、クリスチャン・ベールが演じたヴィラン、“ゴア”である。あらゆる苦しみを体験し、神の楽園に到達した彼は、信仰していた神に裏切られ、幻想を打ち破られることで、“神殺し”なる存在へと変化する。この展開は、祖国を失った移民が新天地で迫害されることで、反社会的な思想を持つに至る構図に近いといえるのではないか。しかし、さまざまな惑星が舞台となる本作では、このような描写から、同様の問題の当事者ではない観客が社会的テーマを連想するのは、少し無理があるかもしれない。

 むしろ本作は、無尽蔵に広がっていくカオスを描くこと自体が、主たる試みであったように感じられるのである。アクション俳優ジャン=クロード・ヴァン・ダムの大開脚を想起させる、ヘムズワースのアクションや、大声で叫ぶヤギ、小籠包の神の存在など、笑える箇所は少なくない。

 なかでも、ワイティティ監督が過去作で行ったことのある“モノクローム”の色彩演出と、最新のCGアニメーションとの組み合わせは、非常に奇妙な印象を持つ、面白い映像表現だったといえる。個人的には、モノクロームの惑星のヴィジュアルは、デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』(1977年)に出てくる、怪しげな惑星を思い起こさせた。

 さらに、「SF映画の父」と呼ばれる、ジョルジュ・メリエス監督の代表作『月世界旅行』(1902年)で、月の目玉にロケットが突き刺さるギャグ(ロケットに対して意外と月が小さかった)描写を、ほぼ再現するようなシーンがあるなど、コアな映画ファンが喜ぶようなネタもある。

 カルチャーギャップのネタをほぼ使い尽くしてしまっている『マイティ・ソー』シリーズは、そもそもソーが強大過ぎるパワーを持っていることから、どうしても豪快な内容になってしまう制約がある。そのなかで作り手側は、莫大な製作費と与えられた題材を利用して、どれだけ変わった表現ができるか、自分の作家的な欲望をぶつけられるかという段階に入ったように感じられる。

 その姿勢には賛否があるかもしれないが、おそらくこの状況は、これまで全体の製作を統括してきたケヴィン・ファイギの制約が比較的ゆるやかになってきたことで生まれた、一種の作家的な“多様性”ともいえるかもしれない。そして、これからまた厳しい脅威が発生することになるだろうMCU作品にとって、本作がある意味で貴重な瞬間になり得ることも確かなのではないか。ならば、その点をこそ十二分に面白がろうとするのが、本作に対する観客の楽しみ方だといえるのではないだろうか。

■公開情報
『ソー:ラブ&サンダー』
全国公開中
監督:タイカ・ワイティティ
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン、テッサ・トンプソン、クリスチャン・ベール、タイカ・ワイティティ、ラッセル・クロウ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:Thor: Love and Thunder
(c)Marvel Studios 2022

関連記事