傑作『ブロリー』から4年 『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』の様々な新しい試み

『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』解説

 『ドラゴンボール超 ブロリー』(2018年)の登場は衝撃的だった。約35年ほどにも渡る、アニメ『ドラゴンボール』映画シリーズのなかで、映画評論の文脈でいっても、ためらわず「傑作」と言うことができる一作が、ついに現れたからだ。

 惑星を破壊できる規模の豪快なアクションシーンが延々と続く内容ながら、新しく解釈し直された悲劇の戦士“ブロリー”の物語が、言葉でなく肉体のぶつかり合いや、衝撃によって次元すら破裂していくなどの、ダイナミックな作画によって紡がれていくといった内容は、映画作品として実験的であるとともに、むしろ無声映画の時代に近い、映画本来の魅力に回帰しているようにも見える。現代において、まさに『ドラゴンボール』シリーズでなければあり得ない方法で、唯一無二といえる映像体験とエモーションをもたらしてくれたのだ。

 また、『ドラゴンボール超』のシリーズで顕著になった、サイヤ人の変身形態が無数に増えていき、悟空やベジータの髪色が様々に変わっていくという設定が、チープに感じられてしまうという構造的な問題を逆手にとって、どれだけ強い状態に変化していっても、敵であるブロリーの戦闘力が追いついてくるという仕掛けを用意し、主人公たちにとってのサスペンス演出に転化することで強みに変えたのも見事だった。

 そのように奇跡的な出来となった『ドラゴンボール超 ブロリー』は、北米のデイリーランキングで1位を獲得し、全世界興行収入135億円を達成する快挙も成し遂げている。もともとアメリカでも『ドラゴンボール』は、古くからTVアニメシリーズが放送され人気を集めていたが、近年はとくに、意外にもヒップホップシーンへの影響が数多く見られ、折しもアーティストたちが詞やファッションなど、『ドラゴンボール』シリーズからの影響を反映させ、リスペクトを捧げている姿が見られるようにもなった。そんなタイミングで、今後も語り継がれることになるだろう傑作が公開されたのだから、この盛り上がりは不思議ではない。

 さて、そうなると続編となる、本作『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』に大きな注目が集まることになる。果たして、本作は大きな期待に応えられるような内容をともなっていたのだろうか。ここでは、そんな本作の仕上がりについて、率直に語っていきたい。

※以下、『ドラゴンボール超 ブロリー』に関するネタバレを含みます。

 『ドラゴンボールZ 神と神』(2013年)からスタートした、『ドラゴンボール超』シリーズは、映画、漫画、TVアニメ、ゲームなどのメディアミックスが行われている。劇場作品は、本作『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』で4作目となる。

 監督は、『ドラゴンボール超 ブロリー』で、複数のスタッフと共同で3DCGパートを製作していた児玉徹郎。CGによるオリジナル作品や、アニメーション作品のCGを中心に手がけてきた人物で、『ドラゴンボール』シリーズの監督としては異色だといえるだろう。

 本作のビジュアル面での最大の焦点は、児玉監督のもと、初めてフルCGによるアニメーション製作になったこと。原作者・鳥山明が新しくデザインするキャラクターたちがCG映像で表現されるのである。本作を観る限り、その完成度はかなり高いものだったといえる。

 もともと、『ドラゴンボール』キャラクターの3DCGは、アニメ風に省略した造形を可能にする「トゥーン・レンダリング」技術の発達のなかで、近年のゲーム作品が先行的に優れた映像表現を成功させていた。鳥山明の漫画の絵柄は、立体的に造形されつつも漫画的な省略も活かされたものであったため、トゥーン・レンダリングとの相性が、そもそも良かったのだ。

 鳥山明による原作漫画は、卓越した立体感覚、空間把握能力が反映された、漫画界でも随一といえる表現力が魅力だった。そんな「お手本」が存在した、TVシリーズの原作準拠部分は、原作に近い世界観を表現できていたが、TVや映画でのオリジナルエピソードは、そのレベルで再現するのは難しかったというのが正直なところだろう。鳥山明の絵柄が特徴的なものだっただけに、そのときの作画スタッフの質によっては古くさいものに見えてしまう場合もあった。

 その意味では、フルCGで全体の質を均一にするというのは、悪くないアイデアだと思える。少なくとも、多くのエピソードが必要になるTVシリーズでは、及第点の表現が比較的容易となる、本作の手法の方がクオリティーを保てるのではないだろうか。

 しかし、本作はあくまでも「映画作品」だ。求められるのは及第点の絵柄を超える、“スペシャル”な映像体験なのではないだろうか。手描きの技術によって、海外の名だたるCGアニメーションやスーパーヒーロー映画をぶっ飛ばすほどの、手描きアニメーションの“粋(すい)”を見せてくれた『ドラゴンボール超 ブロリー』のアクションシーンの興奮に比べると、本作のそれは世界の一線級のレベルにあるとは言いづらい。CGを使用するのなら、アクションシーンや見せ場のみ、手描きのスーパーアニメーターを集めて製作してほしかったというのが、率直な意見である。

 もう一つ残念なのは、現在の鳥山明のキャラクターデザインのペイントを、おそらくCGで忠実に再現し過ぎてしまった部分だ。原作漫画でいえば、ポスターカラーのようなパキッとした塗り方や、初期の淡い水彩によるアーティスティックな塗り方など、アナログの色彩表現が魅力だったといえる。しかし、近年の鳥山明のカラー絵は、多くの場合デジタルによる着彩がなされていて、それが機械的で単純なグラデーションによるものであるために、本来の魅力がつぶされてしまっているところがある。本作では、そのグラデーションの塗り方が一部でキャラクターに反映されてしまっているように見えるのである。

 しかし、『ドラゴンボール超 ブロリー』で、アニメーターによる、鳥山明の絵柄からかなり逸脱した絵柄に違和感を覚えた観客からすると、この手法の方が明らかに良いと判断するかもしれない。この辺りは、長い歴史のなかでシリーズに対する多様な価値観が生まれた『ドラゴンボール』に、何を期待するかによって反応が異なる部分であろう。だがここでは、あくまで一作の映画として、結果的にどれだけ輝いているかを問題にしていることを留意してもらいたい。

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