『39歳』が教えてくれた、自分の手で選んでいくことの大切さ 「家族」と呼べる3人の友情
韓国ドラマ『39歳』がNetflixにて最終回まで配信され、多くの視聴者の涙を誘っている。振り返ってみれば、第1話からすでに宣言はされていたのだ。仲良し3人組のミジョ(ソン・イェジン)、チャニョン(チョン・ミド)、ジュヒ(キム・ジヒョン)のうち、1人が早すぎる死を迎えることを。
それにもかかわらず、私たちは彼女たちと同じように希望を失くすことができなかった。そんな日は永遠に来ないのではないかと。別れを頭の片隅に置きながらも、10代から変わらぬ青春のような日々が続いていくのだと。
なぜなら、それは現実の私たちも同じだから。人はいつか必ず死ぬ。200年前に生きていた人が、今この世にいないように。この先200年後には、きっとここに生きるすべての人がこの世を去っているに違いない。
加えて、昨今私たちはいつ何が起こるかわからない生活をしている。突然の病に倒れるなんてことも、他人事には思えない時代だ。しかし、それだけ死が身近になっても、いざ自分にとって唯一無二の人の死を迎えるというのは受け入れがたい。誰も避けられない死がやってくることを、私たちは情報として知っているはずなのに、その日は来ないような顔をして過ごしていることに気付かされる。
人を愛するほどに、幸せな時間を感じるほどに、いつかはそれを手放さなければならないのが人生。そんな理不尽でやるせない事実を知っていながらも、やはり私たちは愛や幸せを追い求めずにはいられない。それが、私たちの生きる意味と呼べるものだからだ。
では、抗うことのできない運命を前に、どう生きていけばいいのか。『39歳』で見せてくれたのは、その中でも自分の手で選んでいくことの大切さだったように思う。39歳という大人の女性たちが、迷いながらも見せてくれた潔い決断の数々。言うなれば“選べない生まれより、誰と生きるか”ということ。
例えば『39歳』では、ミジョが養女であるというバックグラウンドが、「血縁だけが家族ではない」というひとつのメッセージを感じさせた。3人の友情が生まれたきっかけは、ミジョが実母を探していたことだった。
だが、実母に会ってミジョは大きく落胆する。育て母から「お腹の中にはいなかったけれど、心の中にはずっといた」という印象的なセリフも登場するように、血の繋がりよりも心が通い合っているのかが、家族には必要なことだと知るのだ。
そう考えれば、3人の友情も十分に「家族」と呼べるものだったのかもしれない。末期の膵臓がんを患い、その痛みに耐える親友に対して「その苦痛を半分でも分けてもらえたらいいのに」と切に願う。ときに姉と妹、さらには母と娘のような関係になるのも、女の友情の不思議なところだ。
大人になるにつれて、子が親の精神年齢を超えたと感じる瞬間がある。39歳となれば、多くの人が親世代を労る側となっていることだろう。親に心配をかけまいと、冷静な対応を心がけながらも、ときには子どもっぽい態度で甘えたくなるもの。その顔を見せられる友人の存在は、親やきょうだいとはまた違った形の「家族=慕ってくれる存在」だ。