『TITANE/チタン』が描く、オイル塗れで強烈な“既視感” 数奇で超越的な愛を目撃する

『TITANE/チタン』強烈な既視感と愛

 さて、人を愛することを試すたびに、死体が積み上がっていく。アレクシアはついに指名手配され、行き場を失った。そして子供の頃から行方不明者になっているアドリアンという男になりすまし、彼の父親である消防士のヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)に保護されるのだ。そこから始まる、二人の奇妙な共同生活。アレクシアも “狂人”だが、実はこのヴァンサンという男も、まあまあの“狂人”。一見普通そうにみえてとんでもない支配欲と秘めた狂気的な愛情を見る限り、それを向ける対象である息子がいなかった時期は、彼にとって大層辛かったに違いないと同情さえしてしまう。そう、ヴァンサンも、アレクシアも、愛されることを望んでいるのではない。“愛すること”を、望んでいるのだ。

 その過程にある、身体の変化。アレクシアはサラシを巻き、髪を切ってヴァンサンの息子になりすまそうとする。その表面的な変化と、衣服に隠れた部分での変容に対する怯えは、ヴァンサンの老いに対するそれと呼応する。筋肉質な身体が特徴的なヴァンサンは、バスルームで尻にステロイドを打ち続け、痛みに震える。変わることは、怖い。とりわけ、自分の身体の変容に対する恐怖は年齢、性別、全てを凌駕して共通する。一見規格外すぎるこの映画も、物語も、登場人物も、描かれることや彼らの抱える感情が普遍的で共感的だから、そこに映されているもの全てに既視感を覚えるのだ。私が主人公、そしてこの物語を生んだジュリア・デュクルノー監督と生物的に同じ「女性」であることも、強く関係しているかもしれない。女性の身体を、これほどまで真実をもって映した彼女が私は大好きだ。

 KinKi Kidsの「愛されるより 愛したい」という歌を思い出す。そうなのだ、先述したように「愛されること」は時々一方的で、幻想的で、歪さや虚しさを感じてしまう。そしてこの映画でアレクシアとヴァンサンが教えてくれるのは、「愛すること」の喜びである。「愛されること」で充足した気持ちを味わえるのは、“自分が”愛する者から愛されたときでしかない。特に、ラストシーンでヴァンサンが慈愛とともに抱きしめるものは、対物性愛を抱え、父からも理解されず愛されなかったアレクシアが初めてありのままを愛され、ありのままの自分を生きてきた、という証だ。その究極の愛を目撃したとき、愛する誰かがいることへの祝福を、そしてこれほどまでに強烈に誰か愛したくなる欲望が湧いてくることだろう。

■公開情報
『TITANE/チタン』
新宿バルト9ほか全国公開中
監督:ジュリア・デュクルノー
出演:ヴァンサン・ランドン、アガト・ルセル
配給:ギャガ
提供:ギャガ、ロングライド
2021年/フランス/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/108分/字幕翻訳:松崎広幸/原題:TITANE/R-15+
(c)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020

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