アカデミー賞作品賞受賞が変化のきっかけに? 『コーダ あいのうた』が映画界にもたらすもの

『コーダ』オスカー受賞がもたらすもの

 2022年1月のゴールデングローブ賞が発表された直後、アカデミー賞のノミネート予想をまとめたコラム(第94回アカデミー賞受賞結果を予想 男性主人公の“弱さ”を描く作品が目立つラインナップに)の末筆に筆者は「今年激推ししたいのは『コーダ あいのうた』」と書いていたとはいえ、まさかこんな結果になるとは予想だにしなかった。いざノミネートが発表されれば作品賞と脚色賞とトロイ・コッツァーの助演男優賞の3部門のみ。そこから1カ月半ほどの月日の間に、全米俳優組合賞のキャスト賞(過去26回で12作品がオスカー作品賞を受賞)、全米製作者組合賞(過去32回で22作品がオスカー作品賞を受賞)と連勝し混戦を抜け出すと、そのまま第94回アカデミー賞の頂点へと輝いた。賞レースのスタート時から見ればビッグサプライズではあるが、授賞式直前のムードからしたら極めて順当な勝利といえるだろう。

 今回の『コーダ』の作品賞受賞の雑感としては、まず題材的に近年の映画界(のみならず社会全体のでもある)の重要トピックである“多様性”に最も相応しいものであることはいうまでもなく、それでいて極めてシンプルなアメリカ映画らしいフィールグッドムービーであり、また筆者個人的には大好きなカミング・オブ・エイジ映画でもある。そうなれば必然的に、現行の作品賞の投票形式(会員が作品賞候補作を順位付けしていくもの。首位に選ばれずとも、多くの会員が上位に選べば相対的にトップになる)を勝ち進みやすい、3年前の『グリーンブック』と同様の“誰からも愛される”ないしは“嫌われる要素が少ない”作品であったことが最大の勝因ととることができよう。

 とはいえ賞の歴史から見ると、かなり大きなポイントがいくつか存在する。1つ目は、これがリメイク映画であるということ。ノミネート発表後のコラムでも触れた通り、今回の作品賞候補10作品のうち、広義のリメイク映画は4作品ある。“広義”としたのは、『DUNE/デューン 砂の惑星』と『ナイトメア・アリー』、そして『ウエスト・サイド・ストーリー』は、名目上は原作の再映画化であるということで、同じ系統でいえば過去に『ベン・ハー』と『恋の手ほどき』が作品賞を受賞している。しかし『コーダ』の場合は他の長編映画を原作とした直接的なリメイク作品。これは『インファナル・アフェア』のハリウッドリメイクとなった『ディパーテッド』以来のことで、史上2本目ということになる。

『コーダ あいのうた』(c)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

 2つ目は、作品賞と最も関係性の深い監督賞の候補に挙がらなかった作品はアカデミー賞初期を含めても5作品しかなく、また編集賞の候補に挙がらなかった作品も同部門の創設以降では10作品しかないこと。そのどちらからも候補漏れした作品が作品賞を受賞するというのは史上初めてのことだ。さらに、作品賞と助演男優賞、脚色賞の候補3部門すべてで受賞を果たすことになり、候補全部門受賞の作品賞受賞作はこれが7本目で、『グランド・ホテル』の1部門、『つばさ』の2部門に次ぐ少なさ。受賞数はともかく候補数として、近年の部門数の多さから考えればあまりにもイレギュラーだ。

 そして最も大きな3つ目は、この映画はAppleが昨年のサンダンス映画祭でかなりの高額で獲得し、Apple TV+でリリースされた“配信映画”だということだ。厳密に言えば配信開始と同時に劇場での限定的な公開はされたわけだが、近年毎年のようにアカデミー賞を賑わすNetflixと同じようにストリーマーの提供作品ということは同じだ。“いつNetflixが作品賞を獲るのか”ということが常々言われてきたなかで、まさかそれに先んじて作品賞を獲るのが昨年から本格的に賞レースに参戦してきたAppleだったことは驚きだ。今回のNetflixは2作品が作品賞候補に挙がり、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は11部門12ノミネートとまさに大将格。しかし蓋を開けてみれば、ジェーン・カンピオンの監督賞しか獲得できず(ちなみに監督賞のみを受賞する作品というのは『卒業』以来54年ぶりだ)、すべての部門を見渡してみてもその1冠のみに終わったのである。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(c)2021 Cross City Films Limited/Courtesy of Netflix

 こうも毎年Netflixの有力作が登場しながらも、そのたび涙を呑み続けるとなれば、一体アカデミー会員はいつまでNetflixアレルギーを拗らせているのかと思う人も少なくないだろう。果たしてそうなのだろうか、少なくとも他の劇場公開作品と互角に戦っている時点で、かつてのような拒否反応はさほど感じられない。むしろこの2年間で殊更に劇場鑑賞への渇望感が高まりを見せているなかでもApple TV+作品が頂点に輝いた現状を見れば、賞レースの部分でも劇場と配信の共存は成立しつつある印象だ。もっとも受賞結果に関しては相手関係など時の運のような部分が強く、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と『ドント・ルック・アップ』は“今年ではなかった”だけに過ぎないだろう。

 さて、『コーダ』の受賞を機に日本でも大きく取り上げられるであろうポイントがもうひとつ。それは“ろう者の役をろう者の俳優に”という本作が選んだ制作スタイルである。近年とくにハリウッドでは、マイノリティの役柄をその当事者である俳優が演じるべきだという風潮が強まっている。これに関しては、基本的に間違ったものではないと断言できる。しかしこの手の話題になると決まってSNS上などでは反発する声も散見されるのである。“織田信長は織田信長じゃないと演じられないのか”や“殺人犯の役は殺人犯がやるのか”といった極端な例はさておき、“自分と違う境遇の人間になれる”という俳優業における“演じること”の否定につながらないかという純然な危惧(あるいは、レイシズムに依拠しない疑問符)のひとつとして捉えれば、あながちわからない話でもない。

『コーダ あいのうた』(c)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

 前提として、優れた健聴者の俳優がたくさんいるように、今回助演男優賞を獲得したトロイ・コッツァーや、『愛は静けさの中に』で35年前にオスカーを獲得したマーリー・マトリンのように、ろう者にも優れた俳優がいる。しかしほとんど一般的に知られていないのが実情だ。これまでなかなか日の目が当たらなかった彼らにもチャンスをという話ではなく、マイノリティを理由に雇用機会において著しく冷遇を受けてきた人々がおり、そんな時代はもう終わりにしようというものに他ならない。しかしこれは、労働環境なり雇用契約なり産業面全体がしっかりと整備されたハリウッドだから急速かつ柔軟に対応できる可能性は否めない。今回の『コーダ』を機にコッツァーに注目が集まるように、無名だった俳優の人生が一夜にして大きく動くことは、この日本ではごく稀であり、それがマイノリティであればなおさらである。

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