ティルダ・スウィントンの“気品”の探求 ウェス・アンダーソンら作家との蜜月が独自性に

ティルダ・スウィントンの気品の探求を追う

存在の絶対性

「いつも自分がクィアだと感じていました。私はただ自分自身のクィアなサーカスを探していて、ついにそれを見つけたのです」
「自分が女性だとは決して言えません。“変身”という考え方は、私がパフォーマーとして興味を抱いていることの核心にあります。少なくともジェンダーの考え方を通じてはそうなのです」(ティルダ・スウィントン)※1

 演劇の世界に居場所を見つけられなかったティルダ・スウィントンは、映画作家デレク・ジャーマンと出会うことで、初めて自分の「家」を発見したのだという。スウィントンの鮮烈なデビュー作となった『カラヴァッジオ』(1986年)を現在の視点で反芻する際に何よりも驚かされるのは、容姿や表情のあどけなさや瑞々しさ以上に、俳優としての完成度の高さだろう。スウィントンはキャリアの初期において、現在にまで通じる「パフォーマンス」の質をすでに獲得している。スウィントンは、『カラヴァッジオ』の登場の瞬間から性別を認識させない。頬を泥で汚した少年のように登場する鮮烈でボーイッシュなイメージが、いつの間にか圧倒的なミューズ/モデルのイメージとして名画的な威光を放ちながら画面に収まっていく。『カラヴァッジオ』において、スウィントンのパフォーマンスは性別を意図的に混乱、混合させていく。しかも、それは才能の胎芽が読み取れるというレベルではなく、すでに完成されたイメージとして画面に君臨している。同じくジャーマンとのコラボレーションによる途方もない傑作『ウォー・レクイエム』(1989年)における6分間に及ぶクローズアップは、もはや一世一代のパフォーマンスとしてフィルムを震わせている。ここには、自らを「俳優」と呼ぶことを拒否してきたスウィントンのコアがある。演技を越えた「存在の絶対性」を希求する試みが画面を震わせているのだ。影響を受けた俳優について語る言葉に、スウィントンのカメラの前で「パフォーマンス」することに対する明確な志向、返答がある。

「ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』のロバは、私にとってスクリーン・パフォーマンスの最高峰であり続けています」(※2)

 アメリカ映画に出演する以前、英国時代のスウィントンは、サリー・ポッター監督による『オルランド』(1992年)というキャリアを決定づける作品に出演している。ヴァージニア・ウルフの原作によるこの作品で、スウィントンは、前半を男性、後半を女性として4世紀に渡って生きる主人公を演じた。そして『オルランド』やジャーマンとの作品群でのパフォーマンスについて、スウィントンはすべて「自伝」と語っている。4世紀をまたがって生きた人物について「自伝」と語る面白さ。スウィントンにとっては、これまで見てきたもの、読んできたもの、自身の身体を通り過ぎてきたもの全てが、実人生の体験として、「自伝」と位置付けられているのだろう。ゆえに、「俳優・演技」であることは否定される。エリザベス女王をゲイの小説家・活動家でもあるクエンティン・クリスプが演じる映画の冒頭から、作劇としてジェンダーを無効化していく狙いが『オルランド』には含まれている。この大胆な作品において、スウィントンは決して「ドラマ」の大波に吞まれることがない。すべてをポーカーフェイスで颯爽と乗り切っていく。オルランドは女性に「変身」した際、「性別が変わっただけだ。何も変わらない」と言い放つ。スウィントンの放つ気高いプリズムに彩られた『オルランド』のイメージは、未来永劫に色褪せることのない「気品」の記録なのだ。

映画という家

「ウェス・アンダーソンからメールが来て、これをやってくれと言われたら絶対に断らない」(ティルダ・スウィントン)※2

 ウェス・アンダーソン、ジム・ジャームッシュ、ルカ・グァダニーノ、ポン・ジュノ。スウィントンは、同じ映画作家と繰り返しコラボレーションすることを望んできた。ジャーマンとの一連の仕事から、キャリアの進むべきあり方の啓示を受けたのだという。この姿勢は彼女が「アウェイ・ゲーム」(依頼された「役割」をゲストとして演じる)と呼ぶ、いくつかの作品を除き、一貫している。先に挙げた映画作家たちとは、何年にも渡って対話を重ねた末に作品が誕生している。スウィントンは、プロデューサーや、時には映画作家のように深くプロジェクトに関わっていくこの過程にこそ、自身の活動の重きを置いているという。

「デレクと一緒に仕事をした私たちは皆、自分自身を自分の作品の作家として考え、その貢献に責任を持つことを期待されていました。作家性を共有していくという感覚は、映画に出演し始めた頃における象徴的な経験でした。そのため、私は常に、自分の進むべき道を決める際に、他のどのような要素よりも緊密な仕事上の関係を求めてきました。仲間との繋がりや対話の楽しさがあるからこそ、私は映画を作り続けることができるのです」(ティルダ・スウィントン)※3

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(c)2021 20th Century Studios. All rights reserved.

 ウェス・アンダーソン監督の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』で演じる美術批評家ベレンセンは、前のめりでユーモラスな講演を披露する。アンダーソン監督の映画におけるスウィントンは、作品を重ねるごとに、いわゆる「客演」とは一線を画している。『フレンチ・ディスパッチ』では、驚くべきことにオールスター・キャストの全員が、映画を駆動させる肖像=イメージとして、誰一人欠かせない存在として画面を駆け抜けていく。

 絢爛でありながら息せき切った疾風のごとく駆け抜けていくこの傑作において、スウィントンの「嵐の後」の表情が強い印象を残す。美術商カダージオ(エイドリアン・ブロディ)と共に、ローゼンターラー(ベニチオ・デル・トロ)の描いた「確固たる傑作」を見に、乗り物に乗って刑務所に潜り込んでいくモノクロシーンにおける無言のポーカーフェイス。そして嵐のような騒動の後に迎える破局の表情。『フレンチ・ディスパッチ』の登場人物たちは、一様に破局の後に、来たるべき表情を浮かべる。来たるべき感情に向けられた来たるべき表情による連帯。失われつつあるもの、あるいは失われてしまったものへ向けられた連帯。アンダーソン監督は、シモーヌ(レア・セドゥ)やゼフィレッリ(ティモシー・シャラメ)、ライト(ジェフリー・ライト)の残した表情と、フレンチ・ディスパッチ編集部のスタッフが残した表情を、「悼みの肖像」として無言の連帯を示している。

 スウィントンとアンダーソン監督の出会いは、1994年のサンダンス映画祭で上映された短編『Bottle Rocket(原題)』(『アンソニーのハッピー・モーテル』の原型)にまで遡るという。スウィントンはアンダーソン監督のプロジェクト全体に関わる協力者なのだろう。同じように対話を重ねてきた映画作家としてルカ・グァダニーノがいる。『ミラノ、愛に生きる』(2009年)は、スウィントンとの10年に渡る対話の末に完成した作品なのだという。この作品のラスト数10分で見せる、凍りついてしまった顔、いわば仮死の身体は、これまでのスウィントンのパフォーマンスと接続しながら、その強度の進化を加速させる助走となっている。そして、次作『胸騒ぎのシチリア』(2014年)で、声を失ったロックスターを演じることで、この助走が大きな跳躍へと向かっていたことが示される。この作品でのパフォーマンスが圧倒的なのは、スウィントンが追求してきた「存在の絶対性」と共振しているからだろう。声を発せられない(正確には声の色を失っている)ことで生まれる「映画のジェスチャー」への解釈。マリアン・レーンというキャラクターは、その身振りだけでコミュニケーションをとっている。また、グァダニーノとのコラボレーションでは、『サスペリア』(2018年)の舞踏団の振付家マダム・ブランと、事件を追う心理療法士クレンペラー、舞踏団を維持しようとするヘレナ・マルコスの3役を演じたこともスウィントンが唱える「変身」の概念と共振している。

 『ブロークン・フラワーズ』(2005年)以降、コラボレーションを繰り返してきたジム・ジャームッシュとの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)では、製作資金に苦労するジャームッシュを励まし続けたという。スウィントンは、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)を観て以降、ジャームッシュに関して、自身と同じ「よそ者」として共感を寄せてきたという。血液を集めることに苦労する現代のヴァンパイアというイメージには、アメリカ映画のアウトサイダーとして制作資金に苦労するジャームッシュの背景が投影されているのかもしれない。そして何千年も生きたヴァンパイアを演じること以上に、スウィントンの歩みへ捧げられた、ふさわしいオマージュは他にないだろう。

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