前作に続き批評家と観客の間で評価が二分 “娯楽映画”としての『ヴェノム』シリーズを考える

“娯楽映画”としての『ヴェノム』シリーズ

 邪悪かつクールな風貌で人気を誇る、『スパイダーマン』の悪役“ヴェノム”を主人公に、トム・ハーディを主演に迎え実写映画化した『ヴェノム』(2018年)。その予想以上の興行的成功を受けて製作されたのが、続編『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』だ。アニメーション『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)シリーズが高い評価を受け、その続編2部作が公開を控えるなど、近年ソニー・ピクチャーズの『スパイダーマン』関連作が盛り上がっている。

 しかし一筋縄ではいかないのも、この『ヴェノム』シリーズの特徴だ。「『ヴェノム』はなぜ批評家と観客の間で評価の違いが生じたのか? 『ブラックパンサー』と比較検証」でも書いたように、前作『ヴェノム』の興味深い現象として、アメリカの大手批評サイトで批評家と観客のスコアがほぼ真逆の結果を示し、評価が真っ二つに割れていたのである。面白いことに、続編である本作『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』でも、酷評する批評家が多く、観客の多くが高く評価するという、まさに前作と全く同じことが起きている。これは一体何を意味するのだろうか? ここでは本作を中心に、ふたたび映画『ヴェノム』シリーズとは何なのかを考えていきたい。

 前作で地球外生命体“シンビオート”に寄生され、強大な力を持った“ヴェノム”となった、主人公エディ・ブロック(トム・ハーディ)は、引き続きシンビオートとの共同生活を送っていた。記者としてふたたび脚光を浴びたいと考えるエディは、凶悪な連続殺人犯で囚人のクレタス(ウディ・ハレルソン)に単独インタビューを敢行する。そこでクレタスは、エディの身体からシンビオートの一部を奪うことに成功し、より恐ろしい共生体“カーネイジ”へと変貌し、刑務所で大殺戮を行い脱走してしまう。一方、エディとシンビオートは大喧嘩して絶交状態にあったが、エディの元恋人アン(ミシェル・ウィリアムズ)がカーネイジに連れ去られたことで、ふたたび両者は協力し、“ヴェノム”として決戦に挑むのだった……。

 このように、本作のあらすじはだいたい一息で説明できてしまうくらいにごく単純なもので、観客の予想を超えるような事態もほとんど起こらない。エディとシンビオートの喧嘩別れという要素は新しいテーマに繋がる可能性もあったが、あっけないほどすぐに解決し、カーネイジとの対決にもとくに強い対立構造や奥行きが発生していないのだ。

 ちなみにウディ・ハレルソン演じるカーネイジと、ナオミ・ハリスが演じるシュリークの殺人カップルが次々に人を殺していくところは、おそらくハレルソン主演の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)の設定を意識してのもので、懐かしい気持ちにさせられるが、それをこの映画の魅力と考えるのも、おかしな話ではある。

 また、本作の撮影はコロナ禍の前に終了しているということだが、それにしてはロケ撮影が少なく、セット撮影とCGによる映像が続くことで空間的な広がりや、舞台となっているサンフランシスコの空気感が薄く、実写映画としての魅力にいまいち欠けているのも確かだ。

 製作費をかけているのは分かるものの、いかにも工夫のない大味な“続編映画”という風情で、いまどきここまで大ざっぱな姿勢は珍しいといえるかもしれない。この作品が批評家に嫌われるというのは、ある意味当然といえるのではないだろうか。今回監督を務めた、スーツアクターの第一人者アンディ・サーキスならではの、期待されたテーマ性もきわめて希薄である。

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