『ヴェノム』にケリー・ライカート作品も ミシェル・ウィリアムズの演技に宿る不完全な美
コラボレーションのダイナミズム
「カメラとその背後にいるスタッフを取り込んで、彼らを見えないダンスパートナーにすることです。私はこの方法を好みます。純粋に好きで信頼できる人と一緒に仕事をしているときに起こり得ることですし、シーンの中で別のダイナミックな遊びを取り入れることができます」※1
『グレイテスト・ショーマン』(マイケル・グレイシー監督/2017年)やボブ・フォッシーのパートナー、グウェン・バードンを演じた『フォッシー&ヴァードン ~ブロードウェイに輝く生涯~』(2019年)のようなミュージカル作品における、ミシェル・ウィリアムズのダイナミックな身のこなし(特に後者の作品における舞台上のピエロのように表情のない表情とダンスが素晴らしい)もさることながら、そのダイナミズムを『ブルーバレンタイン』(デレク・シアンフランス監督/2010年)や、『テイク・ディス・ワルツ』(サラ・ポーリー監督/2011年)のような小規模な作品にまで取り込んでいるのは、ミシェル・ウィリアムズの上記の発言のような姿勢が導いた成果なのだろう。
『ブルーバレンタイン』は、デレク・シアンフランスが事前に1200もの絵コンテを準備していたが、脚本も含めてそれらを現場で壊すように撮られたのだという。閉所的なカメラフレームの中で、ミシェル・ウィリアムズとライアン・ゴズリングは即興を交えながら演技に挑んだという。同じように『テイク・ディス・ワルツ』では、予定のショットが撮れた後も、カメラを止めずにミシェル・ウィリアムズとセス・ローゲンのアドリブ演技を撮り続けたという。構想に12年、ミシェル・ウィリアムズとの意見交換に7年の歳月を経て撮られた『ブルーバレンタイン』のように、ミシェル・ウィリアムズは盟友ケリー・ライカート作品に限らず、コラボレーションによって生まれるプロセスを積極的に望んでいくタイプの俳優だ。サラ・ポーリーは、監督としてのみならず一人の俳優として、ミシェル・ウィリアムズの仕事ぶりに感銘を受けたという。
『ブルーバレンタイン』は、過去と現在、慈しみと憎しみ、相反するものを交互につなぎ合わせることで、あるカップルが出会い、やがて別れていく、そのきっかけとなる感情の先端に触れるような敏感な断片を抽出していく。撮影の前半に16ミリフィルムで撮られたという、ディーン(ライアン・ゴズリング)の弾くウクレレに合わせてタップダンスする幸福なシーン。あれだけ幸福だった二人の心と心が通わなくなっていく。二人の別れのショットにはアメリカ国旗が映り込んでいる。そして完全に見えたものが不完全であったことが暴かれていくその崩壊の過程は、映画における俳優の不完全さ(不完全であるからこそ素晴らしい)という、ミシェル・ウィリアムズの志向に一致する。
不完全な美
「毎晩、枕元に本を置いて寝ていました。そして、彼女の映画を見ながら眠りにつくのです。子供の頃、枕元に本を置いて、それが浸透していくのを期待していたように」※2
ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した『マリリン 7日間の恋』(サイモン・カーティス監督/2011年)で、ミシェル・ウィリアムズはマリリン・モンローを演じている。ここでのミシェル・ウィリアムズは、話し方や歩き方、体形に至るまで、綿密な研究をした上で、ミシェル・ウィリアムズにしか成し得ないマリリン・モンロー像を体現している。特に体調を崩してベッドに横たわっているときの、部屋に飾られた植物が静かに息をしているのを聞くような独特の息遣いが、作品に全体にミシェル・ウィリアムズ=マリリン・モンローの魅力を浸透させていく。その魅惑的な発話、息遣いは、コリン(エディ・レッドメイン)のマリリン・モンローを見つめる憧れのまなざしや、手を焼きながらも、映画史における不世出のスター、マリリン・モンローの放つ圧倒的な才能を前に負けを認めるローレンス・オリヴィエ(ケネス・ブラナー)とヴィヴィアン・リー(ジュリア・オーモンド)夫妻にも浸透していく。実際、名画座などの映画館でマリリン・モンローの作品に接したとき、スクリーンで放たれる彼女の圧倒的な存在感にまるごと心を奪われてしまった経験がある身としては、コリンを始めとする、マリリン・モンローに完全に魅了されてしまった者が放つ瞳の輝きに移入せざるを得ない。
キャラクターの行動心理に納得できないことを理由に、演技を続けられなくなってしまうマリリン・モンロー。「マリリン・モンロー」という幻想に悩む彼女は、自身の才能の大きさを抱えきれていないことに気づけていない。コリンは、虚像を脱ぎ去った「不完全な」マリリン・モンローにも圧倒的に魅力を感じている。コリンは彼女の何もかもを見逃したくない。「僕にできるのは目を閉じないでいることだけだった」。誰かに魅了されてしまった者の言葉として、これほど美しい言葉は他にない。
助演に回った『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』(アビー・コーン、マーク・シルヴァースタイン監督/2018年)で、ミシェル・ウィリアムズは声色を変えて、誰からも憧れられる存在だが、声に深刻なコンプレックスを持っている令嬢エイヴリーを演じている。何者にでもなれてしまえるミシェル・ウィリアムズに、またしても驚かされるわけだが、この作品が主題とするもの自体が「何者にでもなれる」ということなのは偶然ではない。レネー(エイミー・シューマー)は、周囲を辟易させてしまうほど自身のルックスにコンプレックスを抱えているが、エクササイズ中の転倒事故によって、自身のルックが変わったような錯覚を起こし、憎めない自信家として周囲をポジティブに魅了していく。を起こし、憎めない自信家として周囲をポジティブに魅了していく。レネーは言う。「子供の頃は誰もが自信に満ちている。でもあるきっかけで疑問を抱き始める。砂場で誰かに意地悪なことを言われて、何度も自分を疑ううちに全ての自信を失う。自尊心や信念もすべてが消えてしまう。でもそれに打ち勝つ強さを手に入れたら?」。この作品はルッキズムをユニークな方この作品はルッキズムをユニークな方法で撃つと共に、「不完全」とされているものが持つ完全性、「完全」とされているものが持つ不完全性を射程に捉えているという意味で、ミシェル・ウィリアムズのキャリアそのものを表しているかのような興味深い作品に仕上がっている。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン監督/2016年)においては、リー(ケイシー・アフレック)とランディ(ミシェル・ウィリアムズ)が偶然町で再会するシーン。自分の気持ちをまったく言葉にできずにいるケイシー・アフレックとの掛け合いの演技がとめどなく素晴らしかったように、ミシェル・ウィリアムズは演技プランの構築の末、不完全の美へと到り、その瞬間を捉えられることを、カメラの前で演じることの醍醐味としているかのようだ。『テイク・ディス・ワルツ』で不倫に溺れた果てのヒロインは、バグルスの「ラジオスターの悲劇」を聞きながら、遊園地で一人で乗り物に揺れる。あのとき浮かび上がる醜さも美しさも備えた不完全な孤独の肖像は、善悪の彼岸へ向かい、いつまでも記憶の中を回り続けている。
参考記事
※1 Michelle Williams|Interview Magazine
※2 Michelle Williams:My Week with Michelle|Vogue.com
■公開情報
『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』
全国公開中
監督:アンディ・サーキス
脚本:ケリー・マーセル
原案:トム・ハーディ/ケリー・マーセル
出演:トム・ハーディ、ウディ・ハレルソン、ミシェル・ウィリアムズ、ナオミ・ハリス
配給:ソニー・ピクチャーズ
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