評論集『脚本家・野木亜紀子の時代』
晶と恒星はなぜ惹かれ合う? 西森路代が『獣になれない私たち』で考えた“女性観”
7月20日に評論集『脚本家・野木亜紀子の時代』がリアルサウンド運営元の株式会社blueprintより刊行される。
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同著は、「リアルサウンド映画部」にてドラマ評論を執筆する7名のライターによる書き下ろしの共著。野木が注目されるきっかけとなった『重版出来!』(TBS系)から、社会現象を巻き起こした『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系、以下『逃げ恥』)、そして脚本家として不動の地位を築いた『MIU404』(TBS系)まで、代表作7タイトルを中心に取り上げながら、現代社会を鋭く照射する野木ドラマの深い魅力に迫る内容となる。
今回、同著に収録される『獣になれない私たち』を西森路代氏が執筆した「獣にならずとも生きていくとはどういうことだろう」より、一部を掲載する。第1項では、新垣結衣が演じる晶を見ていて辛く感じる背景について、そして晶がクラフトビールバー5tapで出会った松田龍平演じる恒星と惹かれ合っていく過程についての第2項を取り上げていく。(編集部)
晶と恒星はなぜ惹かれあうのか
恒星は、「あらまほしき女性像」を受け入れ、無意識でそれを演じてしまっている晶のことを「気持ち悪い」と評する人物である。この「気持ち悪い」という言葉は、5tapのオーナーの斎藤(松尾貴史)が晶を評した「輝くような笑顔」という言葉を受けて出たもので、恒星はそれに対して「おきれいだけど嘘っぽくない? あの完璧な笑顔がきもい。俺ああいう人形みたいな女駄目だわ」と言い放つのだった。
ドラマ放送時に、この恒星の「気持ち悪い」という発言に若干のミソジニーを感じている人もいたように思う。発言自体で見ると確かにそう思えるが、彼のせりふと晶の状況を見ると、実際に無自覚のミソジニーを持っているのは、「輝くような笑顔」しか見えていないオーナーであり、彼のほうが無自覚に晶を苦しめていると考えられるだろう。
晶が「あらまほしき女性」であろうとしていることは、彼女にそうした「あらまほしさ」を重ねる社会に問題があるのであって、彼女自身が悪いのではない。恒星は、その「あらまほしさ」自体がまず気持ちが悪く、それに従順であろうとしているときの晶が気持ちが悪いと感じたのではないか。
実際、晶が「あらまほしさ」を手放したときには、恒星は気持ち悪いとは言わないし、彼女がギリギリになって、また「あらまほしさ」に戻ったときには、「今日は気持ち悪い」と率直に告げる。京谷の元カノの朱里が晶のことを「気が利いて、愛される、キラキラ女子」と評すると、恒星は「実際の深海晶は、いつも無理して死にそうな、周りに都合良く使われるギリギリ女」であると切り返すことだってあるのだった。
私は、晶のように、つらいけれど文句も言わず、笑顔で耐えている人を「美しい」と崇め奉るような文化こそが、日本の気持ち悪いところであるし、さまざまなことを停滞させている根源だとすら思う。だから、一見キツい恒星の言葉には共感があるし、晶のような人(かつての自分にも言えるかもしれないが)にも、この見えにくいミソジニーに早く気付いてほしいとも思う。