高橋一生が“フィクション”に与える説得力 『るろうに剣心』に必要とされた理由を読む
約10年という期間、全5部作という長大なシリーズものにおいて、最終作である『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(以下、『The Beginning』)に初めて顔を見せている高橋一生。なぜ、彼は最終作に必要とされたのだろうか? そしてそんな高橋は現在、野田秀樹率いるNODA・MAPの新作舞台『フェイクスピア』で主演を務めているところでもある。映画やドラマのみならず、演劇界においても多くの功績を残してきた彼だが、NODA・MAP作品に出演するのはこれが初。なぜ高橋は、この作品に必要とされたのだろうか?
『The Beginning』で高橋が演じているのは、倒幕派・長州藩のリーダーである桂小五郎。歴史上に実在したこの男が、のちの木戸孝允だということは広く知られているだろう。明治維新の指導者の一人である。しかしもちろん、本作は少年マンガを原作としたフィクション。主人公・緋村剣心のモチーフとなった人物は存在するが、過去4作をご覧の方はご存知のとおり、超現実的なキャラクターである。この剣心の剣の腕前に目をつけ、彼を“人斬り”の道へと導くのが本作の桂なのだ。
『The Beginning』は過去の4作と比べて、趣が大きく異る。剣心が新時代において“不殺の誓い”を立てるに至る物語であり、彼が血も涙もない人斬りだと恐れられるような存在であったがために、悲劇が展開するものでもある。それゆえ、過去作にあったコメディ要素は皆無であり、剣心は言葉を発するよりも刀を振るう。もちろんそこでは、血しぶきが上がっている。これだけでも十分に、過去作に対して本作が異質なものだと分かるが、桂のように歴史上に実在した人物の登場も大きな意味を持っているだろう。本作でシリーズ初参加を果たした安藤政信が演じる高杉晋作も、村上虹郎が演じる新選組の沖田総司も、桂と同様に実在した人物である。つまり、より“時代劇色”が強くなっているのだ。衣装を見ると分かりやすい。コスチューム的なものを身に着けている者は少数だ。ここで必要とされるのが、演じ手の説得力である。
剣心を“人斬り”の道へと導く桂役は、リーダーとしての資質を感じられるような人物でなければならない。戦乱の世において、腕っぷしだけでは時代を変えられないのは歴史を振り返れば周知の事実。将来を見据えた鋭い観察眼や洞察力、対面する者を惹きつける話術などがなければならないだろう。演じる高橋の何気ない流し目や、反対に、相手の考えを正面から見抜くような眼差し、果たして本心がどこにあるのか分からない、抜けるような発声。あくまで抑制しながら実践するこれらによって、特異な人物像を作り上げていると思う。知的で一風変わったキャラクターは、高橋の得意とする役どころ。それは多くの者にとって、“カリスマ的な存在”として映ることだろう。そしてときに桂が、それとなく胡散臭さを発するのも絶妙である。剣心が見舞われる悲劇に加担しているわけでもあるし、彼は完全な“善”ではもちろんない。最終作である本作に桂役として説得力を与えるためには、高橋一生が必要だったのだ。それに当然ながら時代劇のクオリティを左右するのは、何においても説得力(リアリティ)である。