戦後日本のテレビドラマ史は橋田壽賀子さんと共にあった 最後まで持ち続けた圧倒的な大衆性

 4月4日、脚本家の橋田壽賀子が急性リンパ種のために亡くなった。享年95歳。

 NHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『おしん』と『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系、以下『渡鬼』)を筆頭に数々の大ヒットテレビドラマを手掛けた橋田壽賀子の功績については、説明不要だろう。

 戦後日本のテレビドラマ史は橋田壽賀子と共にあったと言っても過言ではない。

 明治・大正・昭和(戦前、戦後)の激動の歴史を綴った『おしん』は、間違えなく戦前・戦後の日本を知る上でとても重要な作品であり、朝ドラの基本的な形は『おしん』で完成したと言って過言ではない。

 一方、1990年から2011年まで断続的に連続ドラマが作られ、それ以降もスペシャルドラマが2019年まで続いた『渡鬼』は、ホームドラマという形式で、平成から令和初頭にかけての、日本人の家族観を描き切った名作だったと言えるだろう。

 この2作の他にも『あしたこそ』『おんなは度胸』『春よ、来い』といった朝ドラ、『おんな太閤記』『いのち』『春日局』といった大河ドラマ、嫁姑問題を正面から描いた辛口ホームドラマ『となりの芝生』(NHK総合、1989年にTBSで同名リメイク)などといった作品を手掛けており、どれも高い視聴率を獲得している。これだけ視聴者から愛された脚本家は、他にはいなかっただろう。『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラー出演など一時期はバラエティ番組に出演することも多く、八面六臂の活躍だった。

 彼女の評価は、多くの視聴者が橋田壽賀子ドラマを観て楽しんでいたということが全てである。そのため、自分のようなドラマ評論家が付け加えることなど本当は何もないのだが、そのわかりやすさゆえに最後まで気になるところの多い脚本家だったと感じている。

 彼女は間違えなくテレビドラマ史においては重要な作家だが、ド真ん中を突き進んだがゆえに、逆に作家として語ることが難しい人だった。このド真ん中にいながら掴みどころがないということが、今考えるととてもテレビ的であり、それは30年も続きながら『渡鬼』という作品の本質が、その長さゆえにいまだにうまく掴めないこととも、よく似ている。

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