映画『モンスターハンター』は本当にテーマ性が希薄なのか 娯楽作品としての構造を紐解く

映画『モンスターハンター』は本当にテーマ性が希薄なのか 娯楽作品としての構造を紐解く

 カプコンの同名大ヒットゲームシリーズをハリウッドで実写映画化した『モンスターハンター』は、同じく日本の大ヒットゲームの映画化作品『バイオハザード』シリーズのミラ・ジョヴォヴィッチを主演に、彼女と公私ともにパートナーであるポール・W・S・アンダーソン監督が引き続き手がけた、新たなコンビ作だ。

 そんな『モンスターハンター』は、観客の間で好意的な意見と否定意見が渦巻き、かなり賛否が分かれている状況にあるようだ。批判としては「ストーリーが無い」、「テーマ性が希薄」という意見があり、それと対立する意見として、「それのどこが悪いのか」「娯楽に振りきった作品があって良い」という価値観がぶつけられているように感じられる。しかし、ちょっと待ってほしい。それ以前に、映画『モンスターハンター』が、本当にストーリーが無くてテーマ性が希薄なのかということを、まず考えなければならないのではないのか。ここではあえて、本作『モンスターハンター』のストーリーとテーマ、娯楽作品としての構造を中心に、作品を考察していきたい。

 『モンスターハンター』、通称“モンハン”のゲームシリーズは、筆者もプレイした経験があり、よくあるアクションRPGとは異なる印象を持っている。様々なモンスターを“狩猟”して素材を“剥ぎ取る”ことによって、アイテムや装備を充実させていくという、通常のRPGにおける手段が目的になっている、ある意味で限定的な内容なのだ。プレイヤーは、自分の操作するキャラクターよりもはるかに巨大なモンスターに立ち向かい、弱点や攻撃の癖などを覚えながら、選んだ武器を効果的に使って体力を削り取っていく。3Dアクションゲームにおける“ボス戦”にあたるプレイを次々に楽しめること、そして、プレイヤー自身の操作スキルを向上させることがキャラクターの強さとなるゲーム性の高さが魅力だ。

 今回の実写版で目にとまるのは、映画の中で、現実の「私たちの世界」と“モンハン”の「新世界」という二つの世界を用意して、ミラ・ジョヴォヴィッチ演じる主人公の軍人アルテミスを、現実からモンハン世界へと“異世界転移”させるという、新たな設定だ。アルテミスは、初めて見るモンスターたちに襲われて瀕死の目に遭うが、磨き上げた戦闘能力とモンハン世界の武器を利用することで、モンスターたちと渡り合えるようになっていく。しかし、なぜそんな作りにしているのだろうか。

 まず考えられるのは、ゲームを映画化する上で製作側が強く意識している、不特定多数に向けた娯楽映画としての立ち位置である。いかに世界的な人気ゲームの映画化作品であれ、ゲームのファンみんなが観にきてくれるわけではない。多くの観客を呼び込むためには、ゲームを再現したシーンを用意してファンを喜ばせつつも、モンハンをプレイしたことのない観客を呼び込み楽しませる、“開かれた”ものにしなくてはならないのだ。

 そこで、モンハン世界を現実と地続きのものとすること、そして“元の世界に戻りたい”、“生き延びたい”という、シンプルかつ強い動機を主人公側に与えることで、多くの観客が感情移入できるような仕掛けが施してあるのである。さらに、モンスターの凶暴性を強調して、生死の狭間での極限的なサバイバルを描くことによって、もともとのゲームに存在した、巨大な生物を少しずつ傷つけていく絵面から与えられる、ときに動物虐待にも感じられるイメージを大幅に払拭することにも成功しているといえよう。

 このような改変部分があるのは、広く作品を届けるという前提があるハリウッド大作としては、むしろ必然的である。興味深いのは、それ以外の要素では、かなり原作ゲームの手触りに近い印象になっているということだ。前述したように、モンハンの醍醐味は、“狩猟”と“剥ぎ取り”にある。ゲーム内のそれ以外の魅力は、基本的にストーリーも含めて、あくまで付随する楽しみとして配置されている。そして、そんな簡潔さがモンハンの人気を支えていたのである。

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