『天国と地獄』“入れ替わり劇”の根底にあるコロナ禍の現在 北村一輝×柄本佑にも要注目

『天国と地獄』“入れ替わり劇”の根底にあるコロナ禍の現在 北村一輝×柄本佑にも要注目

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
(「月夜の浜辺」中原中也,『中原中也全詩集』角川ソフィア文庫より一部抜粋)

 『天国と地獄~サイコな2人~』(TBS系)とは一切関係ないある詩の情景が、不思議と重なってしまったので引用させてもらう。高橋一生演じる日高が「どうしても捨てられないんです。とっておきたくなる」と言った被害者の血で赤く染まった凶器の「石」を持ち帰った場所は、綾瀬はるか演じる彩子と日高が夢の中で出会った場所、奄美大島にあった。

 「持っていると呪われるという言い伝えがある石」。それをどうしても「捨てるに忍びず」「袂に入れ」持って帰ってしまった日高と、なぜか彼のみが受けるべき「呪い」に巻き込まれ、運命を共にせざるを得ない状況にある彩子。彼らが一体どこに向かっているのか。真相はどこにあるのか。森下佳子によるオリジナル脚本と、あまりにも自然に入れ替わってしまった上に、迫真の演技を繰り広げる高橋一生、綾瀬はるか2人の巧みさに毎度翻弄されている。

 どこに天国はあるのだと言いたくなってくるような凄惨なラストを迎えた第3話であった。日高は、外見は彩子のままで、新たな殺人を犯し、その一部始終を動画にして彩子に送った。「あなたは私で、私はあなたです。どうかお忘れなく」という言葉と共に。第2話において、ナッツアレルギーにより「自分」に殺されかかった彩子が「親兄弟を思うと訴えることもできない」と独白していたことを思うと、その「自分」が人を殺し、顔に被害者の血が飛び散っていく様を目撃するのはどれほどの衝撃だろう。

 この「入れ替わり」劇の根底には、我々が生きるコロナ禍の現在がある。彩子は自分の身に起こった不条理を嘆く。一方の日高は、「できない以上、受け入れて最善を尽くすしかない」と告げる。彼はいつも、全ての秘密を知っているためか、自分にはメリットしかないからか、彩子に「戻れる保証はどこにもないのだから」全てを受け入れることを提案する。

 森下佳子が以前手掛けた、同様に「入れ替わり」をテーマにした短篇ドラマ『転・コウ・生』(NHK総合)でもそうだった。柴咲コウに入れ替わった状態の高橋一生は、必ず元に戻るとは考えないほうがいいと提案する。それに対して、高橋一生に入れ替わった状態の柴咲コウが「入れ替わり」と「コロナ禍」の不条理を重ね、「臨機応変にやっていくしかない」と答える。つまり、『転・コウ・生』は明確に、現在我々が置かれているコロナ禍という状況と、突如入れ替わった3人の状況を、「突然見舞われた不条理」として重ねて描いていたのだった。

 そこから鑑みても、この神話めいたエキサイティング「入れ替わり」劇の根底には、生活様式をガラッと変えざるを得なくなってしまった、そしてこの先完全に戻れる保証もないという不安だらけの状況が続いている、我々の現在が重ねられているのである。

 『天国と地獄』は、“「刑事と殺人鬼」という相反する2人の魂が入れ替わることを皮切りに、「善と悪」「女と男」が複雑に交錯する物語”である。本来なら名前に「月」がつく「望月彩子」が「月」側であるはずなのに、刑事という「太陽」側の職業を生きており、本来なら名前に「日/陽」がつく「日高陽斗」が「太陽」側であるはずなのに、「月」側の人間、「暗闇の清掃人」こと殺人鬼であったという矛盾がある。まさに「本当は月は太陽に、太陽は月になるはずだった」という伝説の文言を裏付ける。そうなると「シヤカナローの花を盗んだ」のは、本来「月」になるはずだった「太陽」であるところの彩子となるわけであり、それが入れ替わりによって、外見的には正しい状態になっているということになるのだろう。そして彼女は「再び」その花及び手袋を手に入れようと奔走している。

 だが、「女と男」「善と悪」が複雑に交錯するのは、どうも彩子と日高だけではないのではないか。それぞれに共通点が多い、もう2組の組み合わせがある。

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