『妖怪シェアハウス』が描いた抑圧からの解放 『アナと雪の女王』にはなかった“自由”の在り方

『妖怪シェアハウス』が描いた抑圧からの解放

 テレ朝の土曜ナイトドラマ枠で放送の『妖怪シェアハウス』が9月19日に最終回を迎えた。

 本作は、主人公の澪(小芝風花)が、借金取りから逃げ惑うシーンから始まる。頼りの綱の彼氏には二股をかけられていて、行きあてのなくなった彼女がたどり着いたのが、お岩さん(松本まりか)、酒呑童子(毎熊克哉)、ぬらりひょん(大倉孝二)、座敷童子(池谷のぶえ)などの幽霊や妖怪の暮らす妖怪シェアハウスだった。

 澪はその後、編集の仕事を見つけて働くようになるが、二股の彼氏と別れてからも、ふたりの男性と知り合うことになる。

 ひとりは、その編集プロダクションの社長の原島響人(大東駿介)で、もうひとりは、妖怪シェアハウスのある荒波八幡神社の神主の水岡譲(味方良介)だった。

 原島も、水岡も決して悪い人ではないのだが、頼りない澪だけに、このふたりの男性から、苦しめられはしないかとハラハラしながら後半戦を見守ってしまった。

 というのも、原島は、妖怪との暮らしについての記事を執筆することになった澪のことを、いつも陰ながら見守っている優しい上司だが、澪の小説に対して、いろいろ指示を出す姿に、パターナリズムを感じてしまうからだ。そして、案の定、原島は妻帯者であることがわかり、澪はその妻の生霊に取りつかれてしまう。

 一方の水岡は、神主の顔とともに、陰陽師の末裔という顔も持っている。そのため、澪がときおり角が生えているのに気づいており、それを見て、人間界と妖怪界の均衡を崩れさせる危険性を持つと考えている。

 澪に角が生えるのはどんなときかというと、小説を書くときに夢中になっているときであったり、また何かに対して怒りを持つときであった。

 水岡は、朝の出勤前の澪を見つけると、彼女の頭をなで、角が出ていないかチェックすることもあるが、これもまた原島と同じように、パターナリズムを感じさせる行動に見える。

 つまり、原島にとっても、水岡にとっても、澪は、自分が保護して守ってあげるべき対象であり、守るべき範疇を超えそうになると、澪が何か悪しき方向に行ってしまうのではないかと心配し、自分が守れる範囲内に取り戻そうとするようなところがあった。

 『妖怪シェアハウス』では、後半に進むにつれ、澪が原島や水岡のどちらかを選び、結婚する結末にいくのではないかという見方もできるようになっていた。第7話の予告編では、澪が水岡と結婚し、白無垢で角隠しをしているシーンもあったし、これまでのドラマは、そうやって最終的には、おさまるべきところにおさまる結末になるものが多かったからなおさらだ。

 これは前回のコラム(『妖怪シェアハウス』の“ハッピーエンド”はどんな形に? 澪の“角”に込められた女性の生き様)でも書いたが、角隠しという風習は、女性は怒りを隠して夫と生きていくというような意味がこめられているとも言われている。だから、水岡が彼女の角を気に掛けるというのは、人間界と妖怪の世界のバランスが崩れてしまうという意味以外でも、澪を「女性らしく怒りを隠して生きなくては、大変なことになってしまう」というような目線で見ているということもうかがえる。

 しかし、澪は原島のことも水岡のことも選ばなかった。

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