年末企画:宇野維正の「2019年 年間ベスト映画TOP10」 映画の役割がクリアになってきた1年

宇野維正の「2019年映画TOP10」

 リアルサウンド映画部のレギュラー執筆陣が、年末まで日替わりで発表する2019年の年間ベスト企画。映画、国内ドラマ、海外ドラマ、アニメの4つのカテゴリーに加え、今年輝いた俳優たちも紹介。映画の場合は、2019年に日本で劇場公開された(Netflixオリジナル映画含む)洋邦の作品から、執筆者が独自の観点で10本をセレクト。第6回の選者は、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正。(編集部)

1. 『スパイダーマン:スパイダーバース』
2. 『ジョーカー』
3. 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
4. 『運び屋』
5. 『さらば愛しきアウトロー』
6. 『マリッジ・ストーリー』
7. 『荒野にて』
8. 『アイリッシュマン』
9. 『サバハ』
10. 『サスペリア』

 いつの時代も「正しさ」を証明するのは時間だが、最近はその時間のスピードも随分速くなってきた。思い出してほしいのは、たった2年前の2017年5月カンヌ映画祭のこと。ポン・ジュノ『オクジャ/okja』とノア・バームバック『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』は、劇場で公開されないNetflixオリジナル映画という理由からコンペティションの蚊帳の外に追いやられ、結局カンヌは翌年から配信作品をコンペティションから正式に排除することにした。今年、ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』はそのカンヌを制するだけでなく、米国のアカデミー賞でも最有力作品に。そして、同じ最有力作品としてそこに並んでいるのはノア・バームバックのNetflixオリジナル映画『マリッジ・ストーリー』だ。実際、『マリッジ・ストーリー』よりも卓越した演出と演技と撮影と編集による「ただの映画」が今年あっただろうか? 逆に言うと、上記リストの『マリッジ・ストーリー』よりも上のトップ5は、作品の外部に溢れた「物語」への共振も含む評価となる。パーソナル・ベストというのは、そういうものだろう。

 今年、映画に関して最も開いた口が塞がらない出来事もカンヌで起こった。コンペティション作品に選出された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の記者会見で、ニューヨーク・タイムズの記者Farah Nayeriは作品とは関係のない話で他の記者の時間を奪った後、マーゴット・ロビーの横に座るクエンティン・タランティーノにこんな質問をぶつけた。「シャロン・テートを演じたマーゴット・ロビーのセリフが少なかったが、それは意図的なものなのか?」。きっと、その記者はマーティン・スコセッシの『アイリッシュマン』を観た後も、同作で最も重要な役の一つだった、フランク・シーランの娘を演じた女優にほとんどセリフがなかったことを気に病むのだろう。記者に侮蔑の眼差しを向けて「その質問(仮説)を拒否する」とだけ言ったタランティーノは大人だった。欧米のリベラル・メディアによるアートの歴史や価値を軽視した政治キャンペーンの季節はもう通り過ぎた。最初から賢明な人はわかっていたが、時流に反する意見を言えばカトリーヌ・ドヌーブのように損をするだけだから、監督も役者も黙して作品を作り続けてきた。それが(まだ日本公開されてない作品も多いが)一気に世に出たのが2019年だった。

 当たり前の話だが、映画は興行利権とストリーミング・サービスとの間の政争の道具ではないし、見当違いのポリティカル・コレクトネスを押し付けるための道具でもない。それが観られるのが劇場のスクリーンであろうと自宅のテレビであろうと、いい作品はいい作品だし、取るに足らない作品は取るに足らない作品だ。白人の中年や老人が撮った白人の中年や老人が主人公の作品であろうと、「現在の映画」は「現在の映画」だし、「時代遅れの映画」は「時代遅れの映画」だ。日本公開は2020年だが、ジェームズ・マンゴールド『フォードvsフェラーリ』やクリント・イーストウッド『リチャード・ジュエル』は、そもそも「現在の映画」である必要さえあるのか?と観客に再考を促すような作品でもあった。

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