『いだてん』最終回で再び描かれた「万歳!」に涙 歴史の闇と光を“オリムピック噺”につなげた脚本の凄み

『いだてん』最終回で再び描かれた「万歳!」に涙 歴史の闇と光を“オリムピック噺”につなげた脚本の凄み

 12月15日に『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)最終回「時間よ止まれ」が放送された。市川崑監督の記録映像とともに描かれた1964年の東京オリンピック。本作は、実写とVFXの合わせ技で明治、大正、昭和の時代をリアルに描いてきた。映像技術の集大成と当時の映像により、視聴者は1964年の熱狂をよりいっそう強く感じられたはずだ。

 激動の時代を猛スピードで駆け抜けた1年。全ての登場人物がそれぞれバトンを受け取り、次の人、次の時代、次の世代へと渡し続けてきた。思い返せばこの物語は、嘉納治五郎(役所広司)の「面白いの? オリンピック」から始まっている。治五郎が世界から受け取ったバトンは、日本人初のオリンピック選手である金栗四三(中村勘九郎)と三島弥彦(生田斗真)に渡り、そこからシマ(杉咲花)や人見絹枝(菅原小春)、前畑秀子(上白石萌歌)など数多くの選手たちに渡る。バトンを受け取った若者の中には、小松勝(仲野大賀)のように戦争で命を落とす者もあったが、その意思は生き残った者に受け継がれる。田畑政治(阿部サダヲ)は東京へのオリンピック招致のために奮闘し、事務総長解任後は岩田幸彰(松坂桃李)に手渡しながらも走りつづけた。そして閉会式の日、田畑は治五郎に問いかけられる。

「これが、君が世界に見せたい日本かね」

 かつて治五郎に「今の日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか」と訴えた田畑。しかし今こそ、田畑は自信をもって治五郎の思いに答えることができる。まっすぐと、しかし彼らしくさっぱりと答える田畑。

「はい。いかがですか?」

 治五郎は言った。「面白い!」

 視聴者である私たちは、この瞬間に至るまでの明るい歴史も暗い歴史も知っている。国立競技場が学徒出陣で使われたとき、会場に響いた「万歳!」は悲しく虚しいものだった。しかし、1964年の観客席に響く「万歳!」は全く別のものだ。あの日は雨で、未来ある若者を送り出すべきではない場所に送り出した。それが今は晴天で、世界中の人々がごちゃ混ぜになり、互いを讃え合い、笑っていた。田畑が、四三が、治五郎が、全ての人が見たかった「スポーツと平和の祭典」がそこにあった。

 語り部たちのバトンも忘れてはならない。古今亭志ん生(ビートたけし)の元から去った五りん(神木隆之介)。けれど、五りんは自ら『富久』となり、国際競技場から浅草まで「スッスッハッハッ」と駆け抜け、志ん生の「富久」を見る。志ん生の「富久」のサゲを見ることなく命を落とした父・小松。彼が遺した「志ん生の『富久』は絶品」が五りんと志ん生を結びつけた。2人は「東京オリムピック噺」の語り部でありながら、この物語の走者でもあった。五りんは父のように志ん生の『富久』を「絶品でした」と称賛を送ったが、これで彼の物語が終わったわけではない。五りんのバトンは、東京オリンピック開会式に生まれた自身の子供に手渡されるのだから。

 そう、『いだてん』は終わっても、「スポーツと平和の祭典」の意思は、新たな若者へと引き継がれ続ける。田畑は、不参加が決定したインドネシアと北朝鮮の旗を掲げられなかったと涙する吹浦(須藤蓮)にこう声をかける。

「そうやって泣いたこと、忘れんなよ」

 この台詞は、挫折や悔しさを味わいながらも諦めなかった田畑だからこそかけられる言葉である。開会式で吹浦はインドネシアと北朝鮮の国旗を室内で掲げる。その目は強く前を捉えていた。参加国が増えていくオリンピックの未来を見ているようだった。

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