『テッド・バンディ』ドキュメンタリー作家だからこそ描けた、連続殺人鬼の恐怖 観客の先入観を暴き出す手法に

『テッド・バンディ』観客を翻弄する話法

 かつてのベストセラーに『人は見た目が9割』(竹内一郎著、2005年)という新書があった。そのキャッチーなタイトルがある種一人歩きする形でも流行し、さらに数字を盛った『人は見た目が100パーセント』なる漫画がテレビドラマ化(2017年)されたことも記憶に新しい。もちろんこれらは単なるイケメン&美女礼賛ではなく、主張・論旨の本質にあるのは、我々人間はその真実性(中身)よりも、表情や仕草や身だしなみ、さらには話し方といった外面の印象(情報)で社会的に判断されてしまうのだというアイロニーだろう。

 確かにそうなのかもしれない。筆者にとって、おそらく過去最も「見た目」効果の凄さをリアルに実感させてくれたのが、ザック・エフロン主演、ジョー・バリンジャー監督の新作映画『テッド・バンディ』。このタイトルでお判りの通り、1970年代にアメリカを震撼させた伝説の殺人鬼、テッド・バンディ(1946年生~1989年没)を描く実録犯罪映画にして「異色の」伝記映画だ。本作はドキュメンタリー出身のバリンジャー監督ならではの視点で、我々がいかに物事の真実を見誤ってしまうのかを暴き出す。テッド・バンディは、30人以上の女性を惨殺し、“シリアル・キラー”の語源になった男。彼の特異点は、IQ160とも言われる頭脳と甘いマスクで世間を翻弄したことだ。

 エド・ゲインやジョン・ゲイシー、あるいはチャールズ・マンソンのような「いかにも」邪悪性をぷんぷん放つ犯罪者ではまったくない。一見、誰からも好かれるタイプのモテ男。物腰の柔らかな態度で、品のあるシンプルな服装。よく気が利き、話も上手だが、押し出しが強いわけでもない。当時新聞には“Charming Killer seems ‘one of us’”(チャーミングな殺人犯は我々と同じ普通の人)という見出しが躍り、多くの人が彼のことを殺人鬼だとはなかなか信じようとしなかった。とりわけ史上初のテレビ中継された裁判であるフロリダ州での訴訟では、彼の立ち振る舞いやパフォーマンスが広く一般に知れ渡り、テッド・バンディは一躍メディアスターに。法廷の傍聴席には“プリズン・グルーピー”と呼ばれるファンの女性たちが詰めかけた。フェミニズムが台頭・白熱し始めた1970年代、それを嘲笑うかのような暗黒の存在に、皮肉にも多くの女性たちがハートマークを贈ったのだ。

 我々はなぜこうも「イメージの良さ」に翻弄されるのか。あるいは自分が抱いた「好感」を修正するのがいかに難しいのか。『ハイスクール・ミュージカル』(2006年)や『グレイテスト・ショーマン』(2017年)などの好青年の延長で、ハンサム・温厚・知的という三種の神器(?)を持つ驚異の人たらしを“快演=怪演”するザック・エフロンの演技も相まって、観客は当時の“バンディ・ガールズ”が「だまされた」ように「だまされる」。あるいは「やっていた」ことを知っているのに「謎めいた魅力」に転化されてしまう。

 これは監督のジョー・バリンジャーがNetflixのドキュメンタリー作品『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』(全4話、2019年)をほぼ並行する形で完成させ、事件を検証・分析し尽くしたからこそ高度に実現できたアプローチだろう。

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