森直人の『ROMA/ローマ』評:キュアロンの壮大かつ正統な“自主映画”から考える映画の「現在」

森直人の『ROMA/ローマ』評:キュアロンの壮大かつ正統な“自主映画”から考える映画の「現在」

 日本の公開状況を振り返っておくと、当初は全国のイオンシネマ48館で上映とアナウンスされたが、まもなく増えて計77館での拡大展開に。多くの劇場では3月9日から4月11日まで約1ヶ月に渡り公開され、ゴールデンウィークに入っても都内ではアップリンク吉祥寺・渋谷やシネスイッチ銀座が上映を続けた。ベタに言えば平成と令和をまたぐ興行になったわけで、それなりに広範囲でのロングランと言っていい。そして重要なのは、従来の映画配給会社を介さず、配信プラットフォームと、劇場としては新興勢力となるイオンシネマ(株式
会社ワーナー・マイカルからイオンエンターテイメント株式会社へと変わり、新生イオンシネマが誕生したのは2013年だ)らが直接タッグを組んだ異例の興行形態となったことだ。

 ちなみに筆者は、上映館の中では自宅から比較的近い「イオンシネマ シアタス調布」(2017年開業)で二回鑑賞している。最初は526席という都内シネコン最大級のスクリーン10で、当館名物の「ULTIRA上映」にいそいそと出かけていった。これはほぼ壁一面を覆う4K対応の高画質スクリーンと、「GDCfeaturing dts-X」なる立体音響システムを独自に組み合わせ、極限まで没入的な臨場感を高めたもの。これが『ROMA/ローマ』という作品の再生環境としてめちゃくちゃハマった。本作の何よりの傑出点は、劇伴がなく現実音のみで設計された繊細かつ緻密なサウンドスケープ。「ULTIRA上映」では世界像を構成する一粒一粒の有機的な要素が鮮明に、まさしく立体感を持って際立つ。冒頭の床掃除の水が流れるショットから鳥肌モノで、個人的にも近年ベストのひとつと断言できる圧巻の極上映画体験を味わえたのである。

 この回の脳内で残響する深い余韻に任せて、また後日、今度は82席のスクリーン8で鑑賞した。さすがに通常上映では前回の体験を補完する程度にとどまったが、それでも家で悶々としているより、おかわりとしては一定以上満足できるものだった。

 ただ残念というか、歯痒かったことがひとつある。二回ともお世辞にも客足が良いとは言えなかったのだ。「広範囲でのロングラン」であることは前提としつつも、もうちょっと客席が埋まってもいいのではないか? と「シネフィルモードの俺」が地団駄を踏む。しかしその一方で、まあ、いつでもインターネット(ベーシックプランなら月額税込み864円)で視聴できるしなあ、と「一般生活者の俺」が冷静に呟く。

 そうして、まもなく筆者はふと気づくのだ。これって結局、数多くの「良質な映画」が陥っているジレンマとほとんど同じじゃないか? という身も蓋もない事態に。もし『ROMA/ローマ』の劇中で『大進撃』(1966年/監督:ジェラール・オウリー)や『宇宙からの脱出』(1969年/監督:ジョン・スタージェス)を上映している映画館のように、ぎゅうぎゅうの客席で本作を鑑賞できていたら、「配信作が結局劇場の必要性を証明するなんて、皮肉かつ痛快な逆説ですね!」と笑顔で喝破できたのだが、なかなかそうスカッとはいかないのが浮世の現実なのだった。

 ところで本稿ではここまで『ROMA/ローマ』の内容にほぼ全く触れてこなかったが、本作はそもそも衝撃作といったような派手な作風のものではない。物語の舞台設定は1970年代初頭のメキシコシティのローマ地区。高級住宅地で暮らす医師の一家の日常が描かれ、住み込みで働いている先住民の若い家政婦クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)が主人公となる。彼女は監督のアルフォンソ・キュアロンが第二の母と慕うリボという乳母の女性がモデルらしい(ゆえに映画のラストで「リボに捧げる」との献辞が出る)。つまり1961年生まれである監督自身の少年時代の想い出がベースとなったものだ。

 本作では後半部に1971年6月10日の「血の木曜日」――エチェベリア政権に抗議する大規模な学生・教職員のデモ隊と、体制側が激突した凄惨な史実が用意されている。この事件に外出中だった出産間近のクレオが巻き込まれる。はじめはデパートの窓の外で大暴動が起きているのだが、やがて店内に銃を持った若者たちが乱入し、クレオの元カレのフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)がデモを弾圧する側の武装集団のひとりとして現われる。

 このパートは「衝撃」の名にふさわしい緊張感と硬質のダイナミズムで観る者を圧倒するのだが、それでもキュアロンは「派手」さに流れがちなスペクタクルの濫用を禁欲的に抑制しており、大部分は淡々と静謐なタッチが続く。なおモノクロームの撮影は、キュアロンが初期からずっと組んできた同じメキシコシティ出身の盟友である名手エマニュエル・ルベツキに替わり(スケジュールの都合らしい)、キュアロン本人が手掛けている。6Kの65mmデジタル・シネマカメラ「ARRI ALEXA 65」を使用したワイドレンズでの撮影も、決して光と影のコントラストを強調した審美性ではなく、引き算の発想で世界を捉え、自然光を活かしつつ被写体の生命を澄明に伝える深度が目指されたものだ。

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