『劇場版 Fate/stay night』が問う“正義のあり方” 待望の第2章は原作ファンを裏切らない出来に

『劇場版 Fate』原作ファンを裏切らない出来に

父殺しを果たした瞬間

 『Fate/stay night』は「正義のあり方」についての物語だ。主人公の衛宮士郎が、命の恩人である育ての父、衛宮切嗣にあこがれ、正義の味方になりたいと願い、彼がたどる結末を分岐する3つの物語で描いている。虚淵玄原作の『Fate/Zero』で詳細に描かれた衛宮切嗣の正義のあり方は、多数のために少数の犠牲を厭わないものだった。それがたとえ身近な人であっても。

 衛宮士郎はその切嗣の正義のあり方に囚われている。「Heaven’s Feel」以外の2ルートでは、父の背中を追っていた彼が、初めて父とは異なる決断をする様が今作では描かれている。精神的な「父殺し」が今作のドラマの核だ。

 予告にも使われている「俺は桜だけの正義の味方になる」というセリフがその「父殺し」の瞬間の言葉なのだが、このセリフが優秀なのは、ただの愛の告白だけでなく、上述した父殺しをも同時に果たす言葉だからだ。そして、切嗣に命を救われて以来の自分の人生を裏切る言葉でもある。ヒロインの桜は意図せずして多くの一般人を危険にさらしかねない。正義の味方なら多数を守らなければならないが、ここで初めて士郎は父とは真逆の選択をするのだ。前2ルートと『Fate/Zero』を知っていればいるほど、このダブルミーニングの重みがよくわかる。

死なずに済んだ命がたくさん描かれていた

 この決断以降の描写に須藤監督の容赦のなさが見えた。原作のゲームでは桜のせいで犠牲になる一般人がいることはテキスト情報のみで示され、プレイヤーが強い罪悪感を抱くこともなかったと思うが、映画では桜によって犠牲になる一般人をストレートに描写している。しかも、桜はまるで飴玉を舐めるかのように人間を食らっているのだ。士郎が桜を選ばなければ「死なずに済んだ生命」がたくさん描かれていた。

 筆者は本作を観て、改めて原作ゲームにおけるこの選択肢を選ぶシーンを思い浮かべてみた。『Fate/stay night』は分岐した3つのルートから成ると先に書いたが、正規のエンディングの他に無数のバッドエンドがある。そのうちの1つに、ファンの間で「鉄心エンド」と呼ばれるものがある。桜を救うか、救わないかの選択肢で救わない方を選択した時に観られるルートなのだが、心を鉄にした士郎はその後も少数を切り捨て多数を救い続けることが示唆されている。バッドエンドであるが、「これも1つの結末」としてファンの間でも人気のあるルートだ。

 映画を観て、筆者は余計に鉄心エンドという選択肢があった原作ゲームの素晴らしさを実感した。あのバッドエンドのおかげで、防げた悲劇が確かにあったのだ。映画は原作の的確に解釈してみせるだけでなく、原作の魅力をさらに輝かせるように作られている。映画という、単線で語る物語と、複数分岐ルートを攻略するアドベンチャーゲームの魅力の違いを理解していなくてはできない。

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