『けもなれ』は“名も無き関係性”を描く 野木亜紀子が「ラブかもしれないストーリー」に込めた思い

なぜ『けもなれ』は“ラブかもしれない”ドラマに?

「それでも……愛されたいな、私は」

 『獣になれない私たち』(日本テレビ系)では、あらゆる問題が同時多発的に起こっていたが、その憤りや悲しみ、恐れ、不安、言葉にならないモヤモヤ……それらが全て、この言葉に帰着するように感じた。誰もが、誰かに必要とされたくて、必死に生きている。自分の道をひた走る獣と、周囲と共生していく人間は相反するもの。完全に両立する答えなどない。だからこそ、人生は面白いのかもしれない。

 晶(新垣結衣)も、京谷(田中圭)に愛されたいという気持ちから、いろんなモノを飲み込んできた。会社にも、必要とされたくてどんな無理難題にも応えていく。結果、京谷からは「晶を愛してる」と、会社では「誰も深海(晶)さんみたいになれない」と必要とされる存在になれた。どんなに不甲斐ない彼氏でも、どんなにブラック企業でも、そこに自分を頼ってくれる人がいるという1点が、とどまる理由になっていたのだろう。

 しかし、「人に必要とされる」他者承認と共に「理想の自分になっている」自己承認が伴わなければ、承認欲求の渇きは消えない。「相手に都合よく使われている」「自分を見失っている」という焦燥感。周囲にとっての理想の存在になれたとしても、自分自身にとってそれが望んでいる姿でない違和感は「幸せなら手を叩こう」と、いくら自己暗示をかけても拭えないのだ。

 誰からも好かれる容姿に、結婚を考える恋人、正社員の仕事……条件面だけを見ると、晶は恵まれているという人もいるだろう。だが、一般的に良い条件といわれるものを満たしていても、その場所が、その相手が自分にとって心地いい居場所になるかは、また別なのだ。それは、間取りや築年数、階層、家賃……と物件情報の前で、様々な希望条件を並べながらも、最終的に譲れないものは住んでみなければわからない「住み心地」なのと同じように。自分にとって何が正解かは、生きてみないとわからない。

 相手の理想通りになることを手放した晶の周りには、自分らしくいられる人が増えてきた。それは飲み仲間? 恋敵? 同志? そんな名前を付けるには難しい、名もなき関係性。恒星(松田龍平)との間には、男女を超えた“壊すには惜しい関係性”が。京谷の元カノ・朱里(黒木華)との間にも友情に近い何かが。京谷の母(田中美佐子)との間には、血の繋がらない母娘“みたいな”形も。

 ふと、「どういう関係ですか?」と、マスコミに追われる呉羽(菊地凛子)を思い出す。誰がどんな関係を持っていようが、他人がどうこう言う必要があるのだろうか。周りが「え?」となるような状況であっても、本人が満たされていることもあるということ。その人が理想とするものが、既成概念とは異なっていても「ありかも」と思えれば、それでいいのだ。きっと、それを受け入れるのが、価値観の多様化というものなのだろう。

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