『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』公開記念企画
『エウレカセブン』劇場版3部作としてなぜ今リブート? 作品のテーマと革新性を評論家が徹底解説
アネモネの“混血”という設定は、時代的背景とも重なる
ーーアネモネ主役作品を待ち望んでいたファンも多いようです。さやわかさんから見て、アネモネはどんなキャラクターですか?
さやわか:TVシリーズのアネモネは、キャラも立っていて、うじうじしていない、むしろツンツンしている女の子ですよね。レントンとエウレカは内向的でもあったので、その対立軸として考えられます。そこをスタート地点にしつつ、物語が進んでいくにつれて心を開いていくというギャップ感がアネモネの魅力で、こういうキャラ好きだなあと思います(笑)。
ーー今回の『ANEMONE』では、アネモネの“喪の仕事”が描かれます。
さやわか:『ANEMONE』では結構重い話をやろうとしてるんだなと感じました。そして、アネモネだけではなく、エウレカの存在も重要になってきます。TVシリーズでは、エウレカが人間にとって異質な存在ながら、レントンとの関係において融和を図っていきました。今回はキービジュアルを見ても、女の子であるアネモネとエウレカの関係がクローズアップされるというか、TVシリーズとは別角度から彼女たちの関係が描かれるのではないでしょうか。女の子同士の友情みたいな話も、やっぱりいいですよね。
ーー『ANEMONE』の舞台が東京という点に関してはいかがですか?
さやわか:東京であることに加えて、アネモネを「石井・風花・アネモネ」という日本人とのハーフととれる名前にしているのもポイントだと思います。日本人の名前をつけることで、視聴者にとっては身近な存在になる。同時に父と母の母国が違うというのも重要で、もともと『エウレカセブン』というのは、“中間に立つ人”の話だと思うんです。単純な敵同士や民族紛争によって二極に分かれて戦う話ではなく、その両者を繋ぐ者や、その間に立たされてしまったり、繋ごうとするとむしろ大変な目に遭う様子を描いている。しかもこれからの時代、日本全体がそうなると思うのですが、特に東京は、移民や外国人労働者と混交した都市へと移り変わっていくでしょうから、アネモネの“混血”という設定は、そういう時代的なものを考えることもやりやすい。まあこれは僕の深読みで、必ずそういう風に見るべきだとは思わないですけども。でも『エウレカセブン』は深読みして解釈するのが楽しいアニメなんだから、いいですよね(笑)。そういうアニメのスタイルは、近年では必ずしもポピュラーではないですが、やっぱり『エウレカセブン』は2005年当時からその矜持を持って作っている感じがします。
ーー『ハイエボ1』でも“家族”というのが一つのテーマだったと思いますが、『ANEMONE』にもアネモネの父が登場するということで、重なる部分がありそうですね。
さやわか:そうですね。もともと『エウレカセブン』は“世代”を描こうとしています。一般的に「アニメって大人が出てこないよね」と批判される場合も意外と多いのですが、特にロボットアニメは大人が出てこなきゃ不自然になりやすいはずなんです。ロボットに乗るのは少年でも構わないけど、巨大ロボットで都市を守ったりするには大人の存在が重要になるし、大人がそのとき、どういうことを考えているのか、というリアリズムも求められる。レントンは14歳で、まさに大人未満子供以上の中間の存在。2005年当時、いわゆるサブカルチャーを浴びながら大人になった人々によって作られたのが『エウレカセブン』だとしたら、今はそこから13年経ち、さらに年を重ねています。その中で、「自分たちにとって息子/娘って何だろう?」というテーマが必然的に生まれてきたのではないでしょうか。だから『ハイエボ1』も『ANEMONE』も、「親から見た子供」を描こうとしてる部分が強いと思うんです。『ハイエボ1』では、レイとチャールズのエピソードも、あの2人が何を考えてるか想像すると切ないシーンがいっぱいあった。『ANEMONE』も、おそらくアネモネとお父さんとの仲違いを通したビルドゥングスロマンを基本にしていると思うのですが、そこに大人側の立場からの視点も盛り込む意図があるのではないでしょうか。
ーークリエイター側の状況も作品にフィードバックされているんですね。
さやわか:「自分も、社会も、時代も変わったし、君たちも変わっているに違いない、だったらそれにふさわしい物語をやろうよ」という姿勢を、作品を通して提示できるのは作り手として誠実だと思います。90年代までのサブカルチャーは、ある種大人になることを否定していました。でも、『エウレカセブン』は前に進むことに肯定的だったし、劇場版の『ハイエボリューション』では、それをさらに進めて、“父になること”も描こうとする。もちろん、いつまでも14歳のレントンとエウレカの関係を描いて、大人との対立や若者の疎外感に焦点を当て続ける作り方もできるけど、年を重ねればそれも変わっていくから、劇場版では「大人になったらどう考えるだろう?」ということも考えている。そのチャレンジ精神はやっぱり『エウレカセブン』らしい。家族の話って生々しいじゃないですか。夫婦がいて、子供がいて、一緒にご飯食べて、話して、“家族”が形作られていく。そこに荒々しさはないし、ボーイミーツガールの物語のようなときめきはないかもしれないけれど、物語としての豊かさがあるし、『エウレカセブン』が平和を求める作品なのであれば、そこまで到達しなきゃいけない。