ノスタルジーを提供するだけではない? 『青夏 きみに恋した30日』は心ときめく時間を与えてくれる
理緒は夢見がちではあるが恋愛に奥手というわけではなく、ときめきを感じ、運命を信じたからには積極性をみせ、自分の中に芽生えた想いを素直に口にし、ぐいぐいと行動を起こしていくタイプだ。しかし、とうの吟蔵は、2人の前に立ちはだかる壁を必要以上に意識し、理緒への想いを自覚しながらも、自分を抑圧してしまう。その壁とは、この夏休みの間だけしか一緒にいられないことや、ゆくゆく彼は家業を継がなければならないといった事情などのことである。ようはマジメなのだろう。
思春期の甘酸っぱさを知る日々を重ねるうちに、8月のカレンダーの日付はバツ印で消えていき、やがて理緒は別れの決断をする。それは彼女が、相手や周囲のことに目を向けられるようになったのだとも受けとれる。つまり、ひと夏を経て、少しだけ成長したのだと。
ところで、先に記したように、巷ではこの手の映画をキラキラ映画と呼んだりするのだが、筆者は“キラキラ=個人主義”だと捉えている。もちろん政治的な意味ではない。これらの映画に登場する少年少女たちが、あと先のことを考えるよりも、周りが見えなくなるほど何か一つのこと(おもに恋愛)に猛進してしまうことに対してだ。それはときに、あまりの独りよがりな言動や行動によって、周囲の誰かを傷つけてしまうこともあるだろう。だがそれ以上に、ただひたすらに、自身のうちにある想いに素直に行動することこそが、文字どおり“キラキラ”輝きを発していると思うのだ。思いのままに行動していればしているほど、より映画がキラキラするというわけである。だがこれは年齢を重ねるほど、社会からの抑圧などにより難しくなってくるだろう。
本作でもっともキラキラとした輝きを放つのは、クライマックスである。自分の気持ちを押し込めていた理緒が、脇目も振らず、吟蔵めがけて走っていく一連の場面だ。いまこの瞬間に、いまこの気持ちを伝えるために、彼女は走る。しかしこの走りとは、吟蔵のためのものではなく、理緒自身のためのものではないだろうか。相手の反応や結果より、「自分の想いに素直になる」という個人の欲求が勝っているのだ。ここに、もっとも純度の高いキラキラが溢れている。彼女が青春ならぬ、この“青夏”を謳歌したことはまちがいない。繰り返すが重要なのは結果ではなく、自分がどうしたいかなのだ。
自分の想いに素直に行動する。それは16歳の女子高生だけの特権だろうか。もちろん恋愛に限った話ではない。いくつであっても、その年齢で経験できる夏は一度きりである。私たちの前にもまた同じように、青い夏の世界が開かれているのではないだろうか。本作はそんなことを、ときめきとともに教えてくれるのである。
■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。
■公開情報
『青夏 きみに恋した30日』
全国公開中
出演:葵わかな、佐野勇斗、古畑星夏、岐洲匠、久間田琳加、水石亜飛夢、秋田汐梨、志村玲於、霧島れいか、南出凌嘉、白川和子、橋本じゅん
原作:南波あつこ『青夏 Ao-Natsu』(講談社『別冊フレンド』刊)
監督:古澤健
脚本:持地佑季子
音楽:得田真裕
主題歌:Mrs. GREEN APPLE「青と夏」
挿入歌:Mrs. GREEN APPLE 「点描の唄(feat.井上苑子)」(ユニバーサルミュージック/EMI Records)
制作プロダクション:東北新社
配給:松竹
(c)2018映画「青夏」製作委員会
公式サイト:http://aonatsu.jp/