『万引き家族』は、なぜカンヌ最高賞を受賞したのか? 誇り高い“内部告発”を見逃してはならない
東京の片隅で万引きをする父と幼い息子。彼らは1人の少女を救い出し、家族に迎え入れる。是枝裕和監督が日本の現状を世界にまざまざと見せつけて、21年ぶりに日本にパルムドールをもたらした『万引き家族』が描いているのは、日本という国が“見て見ぬ振り”をしてきたことのすべてであろう。
この映画が注目を集めたことで、どうやらネット上の一部では「日本の恥を世界に晒している」などという揶揄があがったらしいが、そのような恥さらしな発言に目を向けるのは時間の無駄だ。工事現場で日雇いで働く父、クリーニング店で働く母、JK見学店でアルバイトをする母の妹、月6万円ほどの年金を受給する祖母。そしてどこか様々な感覚が麻痺してしまったかのようでありながら、時に無邪気な表情を見せる少年と、本当の両親からネグレクトされた少女。
2004年に同じくカンヌを沸かせた是枝作品『誰も知らない』では母親から育児放棄された幼い兄弟たちが、孤独な少女と出会い、子供たちだけで生きていく様が描かれた。劇中で彼らがそのように生きていることを“誰も知らない”だけでなく、実際にあった事件が題材になっていながらも社会の誰もが彼らのような存在がいたことさえ知らなかったのだ。
しかし、そう考えると『万引き家族』で描かれる一家は、劇中でこそ“誰も知らない”存在として密かに生きているわけだが、彼らひとりひとりが抱えている影は、ここ数年現実の世界の中で取りざたされつづけている社会問題そのもの。それを凝縮し、救済を求めた彼らが崩壊していくあまりにも残酷なプロットに、日本中の誰一人として見て見ぬ振りはできなくなってしまうはずだろう。
これまでの是枝作品と照らし合わせてみれば、いかにこの作品が彼の集大成的な作品かがよくわかる。前述した『誰も知らない』のスタンスを本作で背負うのは2人の子供たち。そして過去を背負って生きる大人たちには『DISTANCE』などの典型的な是枝作品のエッセンスが合わさり、その他大勢の性の対象から唯一無二の安らぎに出会う松岡茉優には『空気人形』が重なる。そこに複雑な家庭事情と作品の死生観を担う役割を、これまでの作品同様に樹木希林が担うというわけだ。
さて、改めてこの映画がなぜカンヌの最高賞を受賞することができたのか。会期中に発表される現地媒体のジャーナリストの星取りからは、何かしら受賞する可能性が高いことは察していたが、まさか最高賞になるとは予想だにしなかった。前パラグラフで述べたような集大成的なスタイルを繰り出した是枝裕和に監督賞が贈られるか、もしくは『ボルベール <帰郷>』のように女性キャスト全員に女優賞が与えられるのではと思っていた。
しかも、前述したような各国社会の縮図的要素を備えた作品は、コンペティション部門には数多あった。『人生タクシー』と『チャドルと生きる』で、すでに三大映画祭の他の2つを勝ち取っているジャファル・パナヒの『3 Faces(英題)』であったり、審査員賞を受賞したナディーン・ラバキーの『Capernaum(英題)』であったり。その中でもケイト・ブランシェットを筆頭にした審査員団の心を動かすだけの筋書きや演者の魅力、是枝裕和という作家のこれまでの実績、それらの要素が掛け合ったと考えるのが最も自然な考察だろう。
パルムドールを3年前に受賞した『ディーパンの闘い』はスリランカの内戦と、フランスの移民問題を描き出した。そして、一昨年の『わたしは、ダニエル・ブレイク』ではイギリスの地方都市の貧困。映画は時に、世界中に向けてそれぞれの国が抱える現実を発信する役割を果たす。そしてそれが、世界中が注目する映画祭で最高賞を獲ればなおさら、世界にその実情が知れ渡るということだ。