第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門 正式出品作品
是枝裕和、『海よりもまだ深く』インタビュー 「そもそも映画監督になりたかったわけじゃない」
現在開催中、第69回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門に正式出品されている『海よりもまだ深く』。是枝監督にとっては、『そして父になる』(2013年)、『海街diary』(2015年)という大ヒット作に続く新作であると同時に、是枝ファンの間でもとりわけ愛されている2008年の『歩いても 歩いても』の続編として位置付ける(是枝監督自身は“姉妹編”と表現している)ことができる作品でもある。
是枝監督が「僕が死んだ後、神様かえんま様の前に連れて行かれて、『お前は下界で何をしたんだ』と問われたら、真っ先にこの『海よりもまだ深く』を観せると思います」(公式サイトより)と語るほどパーソナルな思い入れのある本作。リアルサウンド映画部では、今回の単独取材でも監督のパーソナルな思いを引き出すべく、敢えてパーソナルな質問を投げかけてみた。1995年に『幻の光』で映画監督としてデビューしてから20余年、映画監督・是枝裕和の映画に対する新たな意思表明とも言える、本作の持つ意義がクリアに語られたインタビューになったと思う。(宇野維正)
「自分の記憶の中にある原風景が、そのまま映画の中で画になっている」
——『海よりもまだ深く』、これはもう大変素晴らしい作品で。いきなり個人的なリアクションの話で恐縮ですが、観終わったその日は、あまりにも身につまされて寝込んでしまうほどでして。
是枝裕和:それはすみませんでした(笑)。
——作品全体のトーンは軽妙だし、笑えるシーンもたくさんあるのですが、これまでの是枝さんの作品の中でもかなりヘヴィな作品なんじゃないかと。
是枝:そうですか。
——その最大の理由は、主人公に是枝さんが自己投影されている度合いが最も高いからだと思うのですが。
是枝:今回、度合いは高いんですよね(笑)。
——主人公の名前が同じ良多であること、そして主人公とその母親を演じているのが同じ阿部寛さんと樹木希林さんであることから、2008年公開の『歩いても 歩いても』からの流れもあるわけですが。
是枝:自分の中で『海よりもまだ深く』はあの作品の“姉妹編”として位置付けています。
——その『歩いても 歩いても』と比べても、主人公と是枝さんの距離がとても近いように感じるんですよね。
是枝:それは、結果的に自分が子供の頃から28歳までずっと住んでいた団地で撮っちゃったっていう、そこが一番大きいんですよね。別の団地にも当たってはいたんだけど、結果的にあの清瀬(東京)の団地での撮影に許可が下りたんですよ。最初に自分が脚本で書いていた間取りも、そのままあの間取りで。自分がずっと生活していた部屋と、まったく同じ間取りの部屋まで借りることができてしまった(笑)。
——さすがに同じ部屋ではないんですよね?
是枝:棟は違います。あと、僕が住んでいたのは3階だったけど、撮影で使わせてもらったのは4階の部屋。
——でも、ほぼ同じですね(笑)。
是枝:だから、自分の記憶の中にある原風景が、そのまま映画の中で画になっているという初めての作品なんです。ただ、主人公と自分をどれだけリンクさせているかっていうのは、もちろんイコールではないです。そこから少しは離さないと、笑えないんですよ。
——そうでしょうね。ただ、ここまで自己投影度が強い作品を作ることになった理由は、撮影場所以外にも、他にもあるんじゃないかと思ったんです。それは年齢的なものなのか、あるいはキャリア的なものなのか。
是枝:そこまで意識したわけじゃなかったんだけど、今回はやっぱり出ちゃったんですよね。でも、小説だったら私小説もいいのかもしれないですけど、自分は映画を私小説にするつもりはないので、自分の実人生から意識的に離すというのは常に気を配ってきたところでもあるんです。それこそ、『誰も知らない』でも『歩いても 歩いても』でも『そして父になる』でも。
——なるほど。逆に言うと、あの『誰も知らない』においても是枝さんの実体験は少なからず反映されていた?
是枝:うん。それは必ずしも物語のシチュエーションに反映しているというわけではなく、母親の帰りを待っている時の子供の頃の気持ちだとか、そういう心理的なものも含めてです。『海よりもまだ深く』だと、あの団地に越したのが9歳の時だったんですね。その時、最初に母親が「あぁ、これでもう台風の心配はしなくてすむ」ってベランダから外を見ながら呟いたんですよ。あと、実際に台風が来た時、その翌朝に、隣の棟の子と待ち合わせて一緒に小学校に登校する時に見た芝生の緑色の輝きを今でもよく覚えていて。そういう断片的な個人的な記憶や映像が重なって、“団地と台風”という今回の物語が自分の中で像を結んでいったんです。だから、映画の作り方としてはこれまでの作品と大きく違うところはないんですよ。
——自分も練馬で生まれ育ったんで、あの時代の東京の西側の郊外の景色や空気というのは原風景としてあって。
是枝:でも、清瀬はもっと田舎ですよ。僕の時代だと、バス通りに牛とか飼っている農家がありましたからね(笑)。
——是枝さん世代の清瀬出身というと、中森明菜さんとか?
是枝:地元のアイドルでしたよ。友達とみんなで実家を見に行きました(笑)。
——(笑)。で、今回の作品には「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」という大きなテーマがありますよね。今日の取材で一番訊きたかったのは、それだけ自己投影度の高い作品において、どうして是枝さんはそういうテーマで作品を撮ったのかということで。だって、是枝さんはこうして世界的に評価されている映画監督になっていて。どこからどう見ても、なりたかった大人になっているわけじゃないですか(笑)。
是枝:なってないですよ(笑)。
——いや、仕事面と人間面の二つがあるとして、少なくとも仕事面では文句のつけようのないところまで上り詰めているのではないかと(笑)。
是枝:そもそも映画監督になりたかったわけじゃないから。
——そこから違うんですね。
是枝:だから、夢が叶ったというようなことでもないですしね。それに、映画監督として自分の理想像に近づいているかというと、そんなこともまったくない。そこはそんなに自己採点は高くないです。それと、自分の大きな後悔として、いろんなことに“間に合わなかった”という気持ちがあるんですよね。
——間に合わなかった?
是枝:そう。父親も母親も、僕がある程度この仕事で将来やっていけそうだってなるのを見届ける前に亡くなっちゃっているんで。ずーっと心配をかけたままだったっていうのが心残りとしてあって。
——そうか。28歳まであの団地で親と同居していて。
是枝:大人になってからは寝に帰るだけでしたけどね。当時はバブルだったから、赤坂の職場から清瀬までタクシー代が出たんですよ。それで、深夜2時過ぎとかに家に帰ると母親が起きてきて「なんか食べるか?」って。こっちは「いいよ、寝てろよ」みたいな。なんか申し訳なかったよね。
——“間に合わなかった”という意味では、日本のテレビの黄金期、日本映画の黄金期に間に合わなかったという思いもあったりしますか?
是枝:ありますね。まぁ、それは言っても仕方がないことなんだけど。ただ、自分が最初に入ったテレビの世界に関していうなら、テレビが一番おもしろかった時代は自分が視聴者の時代だったっていうのは、実感として強くありました。方法論的にいろんな実験ができた時代は、自分がテレビの世界に入った時にはもう一通り終わっていた。ただ、それを時代のせいにしているダメな部分というのも僕らの世代にはあって。それも含めて反省する部分は多いですよね。
——もともと是枝さんの映画の特徴には、映画的なフェティシズムのようなものから自由なところがあると思うんですけど。
是枝:それが欠点でもある(笑)。
——いや、そこが一部の映画人からあまり好かれない理由ではあると思いますが、自分は欠点だと思ったことはないです。
是枝:(笑)。