荻野洋一の『ブラックパンサー』評:普通の映画であることによって革命的作品に 

荻野洋一の『ブラックパンサー』評

 個人的な記憶をリンクさせてもらうなら、本作『ブラックパンサー』はどこかしら1980年代初頭にデイヴィッド・バーン率いるトーキング・ヘッズがアルバム『リメイン・イン・ライト』をリリースした時の異様な雰囲気を思い出させる。同アルバムは、徐々に盛り上がりを見せていたエスニック音楽のエッセンスを、ニューヨークのロックバンドが大々的に吸収し、アフリカンビートとパンク・ニューウェイヴがみごとに融合した傑作として、音楽シーンに激震をもたらした。トーキング・ヘッズは日本公演もおこない、派生グループのトム・トム・クラブとの合同ライブは、反復されるビートの嵐の中で異様な熱狂を巻き起こした。

 『リメイン・イン・ライト』は、日本の音楽評論シーンで熱い賛否両論を呼び起こした。時代を画する傑作として同作を絶讃する論陣。そして反対にトーキング・ヘッズの試みを、アメリカのバンドによるアフリカ音楽の植民地主義的な搾取だとして全否定する論陣。筆者がなぜ『リメイン・イン・ライト』を思い出したのか、これはじつに単純な連想だ。このアルバムがアメリカによるアフリカンビートの剽窃だったからだ。映画『ブラックパンサー』にも同じようにその功と罪、両方が刻まれている。そのことを踏まえつつ、それでも研ぎ澄まされた美しいアクション、ここで奏でられるビートそのものの官能性と共にありたいと思う。中学生の当時、筆者自身が『リメイン・イン・ライト』の強烈なインパクトに病的に取り憑かれていったのと同じように。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『ブラックパンサー』
全国公開中
監督:ライアン・クーグラー
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:チャドウィック・ボーズマン、ルピタ・ニョンゴ、マイケル・B・ジョーダン、マーティン・フリーマン、アンディ・サーキス、フォレスト・ウィテカー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2018
公式サイト:MARVEL-JAPAN.JP/blackpanther

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