『民衆の敵』が訴えた世間へのメッセージ 高橋一生「あなたは?」の問いで考えること

『民衆の敵』が訴えた世間へのメッセージ

 『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』(フジテレビ系)が、12月25日に最終話を迎えた。先週の予告では、佐藤智子(篠原涼子)vs 藤堂誠(高橋一生)という構図での言い争いのシーンが流れ、本当の“民衆の敵”は果たして誰なのかが注目されていた。およそ12分間の緊迫の論争の末に、出た答えはーー。

 犬崎(古田新太)の目論見に思えたニューポート建設は、藤堂の産業廃棄物処理場の建設という計画によるものだった。臨港地区に産廃処理場を併設することにより、受け入れられる多額の交付金によって、佐藤の福祉政策が実現できる。ではなぜ、藤堂はその案を黙っていたのか。「国民は反射的に反対する。多くの場合、政治家の言うことに聞く耳を持たない。聞くことを放棄しておきながら、あとで聞いていなかったという。民衆には伝えず、導いた方がいい時もある」。藤堂は主権が国民にある「主権在民」を佐藤に説き、選挙は一人ひとりがしっかり後悔のないように選択するためにあると話す。

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 藤堂にとって佐藤は人として好きな、目が離せない人物に変わりはなかった。高校生の頃、藤堂は父・英一朗の「独裁政治だと言われても構わない。独裁しか手がない時もある」という言葉に愕然としながらも、そこから政治を学んでいく。きっと、その時に父の言葉を聞いていなかったら、今頃佐藤のような政治家になっていたーー。藤堂は、佐藤に諦める前の自分の姿を重ねていたのだ。

 2人は「民衆のための政治だという理念を失ってはならない」という根底の部分では同感だが、佐藤は「みんなが幸せになるために誰かが一人でも犠牲になるのはおかしい」、藤堂は「一人の幸せのためにみんなを犠牲にするなんておかしい」と真っ向から考えはぶつかっている。第9話でも映画『プライベート・ライアン』を例に挙げて話された「目の前の一人の影には見えない99人がいる」という考えだ(参考:裏表を巧みに演じる高橋一生が本領発揮! 『民衆の敵』藤堂誠の隠された素顔)。きっと、どちらの考えも正しい。ここで、思い出されるのが、藤堂が父と対峙したシーンでのことだ。「やっと政治家になる覚悟ができました」と告げる藤堂は瞳に涙を浮かべ、髪の毛を掻きむしる。「僕だって、やっと父さんのことを尊敬できるようになったんです。敷かれたレールの上を歩いていたら、いつまでも父さんのことを追い越せません」。藤堂が選んだのは、父の正しさも理解しながら、国政に行ってみんなの幸せを選ぶこと。瞳に涙をためて佐藤に問いかける藤堂には、副市長として彼女を支えていくという選択ができなかった無念もあるのだろう。

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