夏帆演じる姫は“マインドコントロール”されていたのか? 『監獄のお姫さま』が描く社会の縮図

『監獄のお姫さま』が描く社会の縮図

「私……騙されてるのかな。千夏さんの言うように、マインドコントロールされてるんでしょうか」

 火曜ドラマ『監獄のお姫さま』(TBS系)第3話は、いよいよ物語の主軸に立つ“姫”こと、江戸川しのぶ(夏帆)が登場。大手乳製品メーカー・江戸川乳業の社長令嬢として何不自由なく育った姫だが、当時副社長で婚約者だった板橋吾郎(伊勢谷友介)との婚前旅行中に殺された吾郎の恋人・ユキ(雛形あきこ)の殺人教唆罪で、懲役12年の刑に服すことになったのだ。

 動画サイトにアップされたニュース映像が話題を呼び、“爆笑ヨーグルト姫“として有名になっていた姫に、雑居房仲間となった女優(坂井真紀)や姉御(森下愛子)は浮足立つ。さらに、刑務所内で起こった出来事をメルマガで発信している“財テク“こと千夏(菅野美穂)は、新人の姫に独居房からの脱走を“教唆“したり、吾郎を「イケメンだもんね〜」と何かとけしかける。

 姫は吾郎のことを「まっすぐで熱くて優しくて、社長の娘ではなく初めてひとりの人間としてみてくれた人」と、彼に惹かれた経緯を語る。「一番簡単なマインドコントロールだね。全否定から入る。自分が大切にしているものを捨てろという。で、ぽっかり空いたスペースに自分にとって都合のいい価値観を植え付ける。まっすぐ熱く優しく洗脳する」と、一般論を説く財テクにも「でも、私は信じてました」と反論する姫。

 だが、「私が奪ったんです、彼を、ユキさんから。だから、ユキさんは旅行先まで押しかけてきて……」という言葉が、みんながニュースで知っている“旅行先にユキを呼び出して殺した“という情報と異なる。“姫は何かを隠してる“そう感じた雑居房仲間たちは、私語が許される食事のたびに姫を問いただすのだった。教育係となった馬場カヨ(小泉今日子)は、加熱する仲間たちに「みなさん、冷静に! 冷静に!」と呼びかけ、保護者的なポジションとして姫の言い分を見守るのだった。

 吾郎が弁護側に立って証言してくれたこと、マスコミにふたりの領域を土足で踏み込ませたくないと言ってくれたこと、そして服役が終わるまで待ってると約束してくれたこと、「すべては君と僕のためなんだよ」……姫の心の中には、吾郎を信じるために大事にしてきた、大切な行動や言葉があった。それを思い返していると、またも財テクから「控訴させないため、裁判を早く終わらせるためにそうしたんじゃないの?」と、茶々が入る。

 騙されたのかもしれない、と姫もどこかで感じているはず。だが、それでも信じたいという選択をしたのだ。たとえ自分と結婚すれば社長の座が手に入ると希望したとしても、自分への愛が本物であるのなら、それは利用されたのではなく、一つの愛が生まれるきっかけだった、と。これからの12年、刑務所の中で過ごす姫を支えているのは、その吾郎への“愛”ひとつだけなのだから。

 そこに飛び込んできた、吾郎の新恋人発覚のニュース(スクープした週刊誌が『TUESDAY』となっているのもニクイ演出)。「ああ、裏切られたんだ。捨てられたんだ私。やっぱそっか。あれ? 泣いてる……なんで泣いてる」震える声から、これまで大事にかき集めてきた吾郎への愛が、指の間からこぼれ落ちるのを止められない動揺と虚しさを感じる。背景には、財テクの歌う『天城越え』が聞こえてくる。“誰かに盗られる くらいなら あなたを 殺していいですか”そんな歌詞を含めるこの歌を熱唱する財テクの歌声は“ほら、言わんこっちゃない“と勝ち誇るかのようだ。

 果たして、姫はマインドコントロールされていたのだろうか。マインドコントロールや洗脳という言葉、一般的に自分の力で考えられなくなっている、冷静ではない状態を指しているように思う。だが、姫は自分の意志で信じるということを選択した。決して自分を見失っている状態ではなかったはずだ。「コントロールされていた」とするか、「愛して信じ続けた」とするかは、見ている側の勝手な判断かもしれない。

 思えば、マインドコントロールとも洗脳とも近い、価値観のすり合わせは私たちの日常でも常に行なわれているものだ。家族、地域、学校、会社……何かしらのコミュニティに所属すれば、そこに定着している価値観と向き合わなければならない。このドラマで描かれる刑務所は、まさにその縮図だ。ルールがあり、模範となる行動があり、その出来栄えによって等級が与えられる。そして、制約が厳しければ厳しいほど、ごほうびの喜びも大きくなる。ごほうびとは、カラオケ大会で好きな歌がうたえる、1000円以内で好きな出前が取れる、という自由行動の権利だ。

 ペチャンコのパンで作られた歓迎ケーキが美味しいのは、自由行動が許されない中で用意してくれた気持ちがあってこそ。歓迎なんてしなくていい、という刑務所の価値観からは外れた行為。だが、人はそうしたルールから外れたときに愛を感じることもある。愛ゆえに価値観に縛られ、愛ゆえに一線を越えてしまう。何が正義かは、一つの価値観では語れない。だからこそひとりひとりに言い分があり、何が“罪”なのかを話し合う必要があるのだ。

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