『女神の見えざる手』は銃社会を“撃つ”ーージェシカ・チャステインのあまりに格好良いヒロイン像

田村千穂の『女神の見えざる手』評

 本作にはエロティシズムもユーモアもほとんどない。ただ巧みにスリリングな政治の裏世界の描写を、スローンの辣腕にまかせきって流れるままに鑑賞していればよい。つれていかれるのは、錯綜した戦略のあざやかな展開の果てに、思いがけずみえてくるシンプルなテーマだ。政権の腐敗。これに向かって突き進みながら、ヒロインも映画も銃社会を〈撃つ〉。

 部下のエズメ・マヌチャリアン(ググ・バサ=ロー)を巻き込む銃規制法案廃止論者とのテレビ討論の場面は、銃とカメラのよく知られたアナロジー(shoot=撃つ/撮る)を久々に想起させる鋭利なショットの連続となった。ここから、私たちは倫理と政治とメディアの関係を、映画観客という一見無害な立場からシリアスに考え込まざるをえなくなるだろう。被写体を傷つけながらも見たい/見せたい/見なければならない現実とは何か。カメラの暴力に拠らなければ認識できない現実の暴力とは何か。理念のために、あるいは芸術のためにどこまで何が「許される」のか。今、見る者は何に「感動」しているのか。

 スローンと、二人の女性部下──マヌチャリアンと、以前主人公が所属していた大手ロビー会社のアリソン・ピル(ジェーン・モロイ)──の関係がこの映画の何げない魅力となってヒロインを際立たせている。ピルとマヌチャリアンが出会うことはない。だが二人の描き方、存在の比重はヒロインにとっても作品にとってもほぼ同程度で、その距離と信頼関係、さらに裏切りと別の形での関係の修復のドラマは真に感動的である。慣れ合いも、不要に親密な接近もない均衡がかえって真実の人間関係を生む。その三人がクロスする終盤の場面は息をのむほどサスペンスフルだ。

 冒頭でふれたヒロインの陳述のセリフが、2時間に及ぶ緊密なドラマの果てに、再びどのように発声されるのかに注目されたい。ジェシカ・チャステインの全編にわたる美しさについては言うだけ野暮だろう。ただあまりの格好良さに涙がこぼれるだけだ。ラストの彼女の純粋なイメージ(映像)については永遠に口を閉ざしていたい。あのようなショットを多くの人が目にすることになるとは、ほとんど信じがたいほどだ。 

■田村千穂
1970年生まれ。映画批評・研究。著書に『マリリン・モンローと原節子』(筑摩選書)、『日本映画は生きている』第5巻(岩波書店、共著)。2017年度は中央大学にて映画の授業を担当。

■公開情報
『女神の見えざる手』
TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
監督:ジョン・マッデン
出演:ジェシカ・チャステイン、マーク・ストロング、ググ・バサ=ロー、ジョン・リスゴーほか
配給:キノフィルムズ/木下グループ
2016年/フランス=アメリカ合作/英語/カラー/シネマスコープ/132分
(c)2016 EUROPACORP-FRANCE 2 CINEMA
公式サイト:miss-sloane.jp/

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる