『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』は本当に“サイコー!”なのか?
興行成績が好調な近年のマーベル映画のなかでも、とくに大きな支持を得ているひとつが、コメディー色の強い異色ヒーロー作品『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』である。その続編『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』は、アメリカ国内に限っては、先駆けて公開されたドル箱シリーズの『ワイルド・スピード ICE BREAK』の興行収入を追い抜くなど、今回さらなる快挙を達成している。人気の理由は、銀河を救う英雄たちのとぼけた個性と、次々に挿入されるギャグ、往年のポップ・ソングをBGMにしたグルーヴ感にあるだろう。また、『アイアンマン』や『キャプテン・アメリカ』などに比べて、「いかにもヒーロー」といったヴィジュアルではないというところも、今までにないファン層を掘り起こすことに繋がっているといえる。前作は熱狂的な反応が多く、「サイコー!」との声があがったが、本作も「前作以上にサイコー!」との声が聞かれる。
しかし、この『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(以下『GotG』)のシリーズは、本当に「サイコー!」なのだろうか。たしかに上記のような点が評価されるのは分かるとしても、それ以上に様々な問題も多いと思えるのだ。絶賛の声があがればあがるほど、そんな内容への不満が膨れ上がっていき、その合唱に加わる気になれなくなってしまう。この記事は、同じように、しっくりとこない思いを抱いた人向けに、そういう観客が、なぜ本作にノレないのか、なぜあまり面白いと思えないのか、というところを考察していきたい。そして同時に、現在のハリウッド映画が抱えている問題を掘り起こしていければと思っている。
CGアニメーションとジェームズ・ガン
近年、ハリウッドの大作映画は、CGによる視覚効果を多用する傾向にある。『GotG』シリーズは、そのようなポストプロダクション(撮影後の作業)に巨費を投じるマーベル映画のなかでも、とくにその傾向が強く、実写映画というよりは、実質的には「実写を利用したCGアニメーション作品」といえるくらい、全編がCGで彩られている。
このような映画づくりに先鞭をつけたのが、新しい技術であるCGと、従来のアニマトロニクスなどの視覚効果を見事に組み合わせ完成度の高い傑作に仕上げた、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』であり、またその後、CGの研究を重ね製作体制を作り上げ、映像の可能性を飛躍的に押し広げた、ジョージ・ルーカスによる『スター・ウォーズ』新三部作であった。これらの作品が偉大なのは、CGを利用しながら、それまで誰も見たことのない世界を表現し、映画はもちろん、映像分野全体に革命的な変化をもたらしたところにある。
たしかに、『GotG』シリーズには信じ難い数の一流スタッフが動員され、膨大な量のCGアニメーションが潤沢に使用されている。しかし、『ジュラシック・パーク』や『スター・ウォーズ』新三部作の影響がベースにありながら、それでもこれらの映像世界にあったような、新しさや興奮というものを感じにくいというのは、既存の映像表現を革新しようとするような、監督の強い意志や興味が欠けているのではないかと思えるからである。例えば本作『GotG:リミックス』の見どころとなっている、冒頭の「長回し」アクションは、既にスピルバーグ監督の『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』などの先行作品において、もっと過激に表現されてしまっているのだ。優れたアニメーションを作るには、監督自身もアニメーション表現への強い想いと、確固とした映像のイメージやフェティッシュが必要なのである。これは、アニメ出身の天才監督、ブラッド・バードが、監督としてすべてをコントロールした実写作品の絵作りと比較すると分かりやすいはずだ。もちろん、そのようなアニメーション作家としての素養の欠如というのは『GotG』シリーズのみに限った話ではない。実写映画がアニメーションに近づいたことで、そのようなヴィジョンが、映画監督にも否応なしに求められるようになってきたのである。