GReeeeNは“青さ”こそが魅力的だったーー青春映画としての『キセキ ーあの日のソビトー』
世代的なツボを押さえられた映画を前にすると、いくら斜に構えて観たところで、気が付くと批評することを忘れて没頭してしまうから映画の魅力は尽きない。とりわけそれが音楽となれば、一昨年ひっそりと劇場公開されたバック・ストリート・ボーイズのドキュメンタリーしかり、その音楽が流行していた時代を否が応でも思い出して懐かしんでしまうものだ。
GReeeeNが大ブームを巻き起こしたのは、筆者が大学に入学したちょうどその頃だった。前年にとある男性アーティストが歌った失恋の曲が流行ったからこそ、シンプルな言葉だけをまとめ上げて、現在進行形の愛を歌ったラブソングである「愛唄」には周りの誰もが食いついた。当時の、音楽に造詣が深くない男子大学生の多くは、mixiでこの歌だけのコミュニティーに入ることで女子受けを狙い、カラオケに行けばこの曲を歌ったことだろう。
今考えると、かなり青い。だがその青さこそが、GReeeeNの魅力だ。元々の“Green Boys”というグループ名の由来が示す通り、“未熟”を表す言葉に訳されるグループ名は、彼らの直球すぎる歌詞には相応しい。それに、顔を出さない覆面アーティストというミステリアスな一面が、流行り物に食いつきたがる“大二病”心をくすぐったことは言うまでもない。
もうあれから10年経ったなんて、とても思えないのだが、今こうして『キセキ〜あの日のソビト〜』という映画を通してGReeeeNを再考してみると、難しいことは考えずに、ただただ彼らの曲を一気に聴き直したい衝動に駆られるばかりだ。今だからこそ語られる感じが、顔を出さずにやってきた彼ららしくも思える。
厳しい父親の反対を受け、自分のバンドが崩壊しても夢をあきらめられない兄・JINと、進路や将来に悩みながら、才能を余すことなく生かしてアーティストに成長していく弟のHIDE。一切ブレることなく主人公の兄弟ふたりのサクセスストーリーを紡ぎ出すと同時に、サイドストーリー的に父親の病院に入院する少女のエピソードを重ねる。実にウェルメイドな日本映画の作りを踏襲しているスタイルは、世代的な部分を抜きにしたって好きにならずにいられない。
それもそのはずで、本作のメガフォンを執った兼重淳といえば、ゼロ年代邦画で群を抜いてファンタジックだった『ちーちゃんは悠久の向こう』を手がけた監督で、日本映画が最も輝いていた90年代に多くの作品で助監督を務めてきた人だ。そこに同じように90年代を駆け抜けた脚本家・斎藤ひろしがタッグを組めば、こんなにもキラキラとした日本映画が蘇ってきて当然である。
ところで、予告やポスターなどでは“名曲「キセキ」の誕生秘話”を描く、との触れ込みであったが、実際にはGReeeeNが結成される過程を描き出すことが中心であった。それだけに、「キセキ」以外の曲の要素も随所に感じられる。たとえば、小林薫演じる父親の終盤での表情からは、『ROOKIES-卒業-』の主題歌になった「遥か」を思い出す。それでも、同じアルバムに収録されていた「父母唄」を想起させるほどには、家族の物語に偏らせないわけだ。
もちろん、主人公兄弟を演じる菅田将暉と松坂桃李を筆頭にした、男性キャストアンサンブルは注目すべき部分。2016年に9本の映画に出演した菅田と、5本の映画に出演した松坂。そこに少ない出番ながら存在感を放つnavi役の横浜流星も加われば、やはり日曜朝に放送されているライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズは、若手俳優の宝庫であることが窺えよう。