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日本と海外、ドラッグムービーの描き方はどう違う? モラルとインモラルの境界を探る

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 不道徳な映画は面白い。もっと言えば、映画は不道徳であればあるほど面白い。家族の温かさや恋のときめきを再確認するためだけに映画があるわけじゃない、実人生では決して経験できない逸脱だったり破滅こそが映画の醍醐味! そう声高に主張する作り手と観客の熱が今の邦画シーンから感じられないだろうか。現在公開中の『日本で一番悪い奴ら』や公開待機作『ケンとカズ』もそんな熱気から生まれてきたような作品だ。両作、作風や規模は異なるけれど、“ドラッグ”が物語に絡んでくるという点は共通している。(メイン写真は『日本で一番悪い奴ら』場面写真)

 芸能人が薬物使用で逮捕されるニュースがトレンドみたくなっている。他人の人生崩壊に一体どこまで付き合うのかという呆れはさておき、“ドラッグ=悪事”が世間一般の尺度であるには違いない。実際その通りだろう。しかし、映画内では必ずしもそれが悪事として捉えられる必要はないのだ。例えば『日本で一番悪い奴ら』中の覚醒剤セックスシーンなどは陶酔感がマジメに演出されており、反道徳性の獲得に成功している。

nichiwaru_main-th.jpg『日本で一番悪い奴ら』場面写真

 近年では外国映画でもドラッグ絡みのものが増加している。例えばギャスパー・ノエの『LOVE 3D』だったり『神様なんかくそくらえ』など、日本では公開されたばかりのこれらの映画では、ドラッグ中毒者たちの純粋一途な破滅的エモーションを代弁していた。他者が感情移入できるかどうかなど一切考慮されていなかったので、いわゆる“ついていけない”観客もいたことだろう。カメラは彼らに寄り添って、社会常識から彼らを守り、肯定するように存在していた。それに対して『日本で一番〜』は、一般社会の視点から逸脱者を見つめている様だった。そんな距離感が作品の乾いたトーンを生んでおり、また同時に、最低限の“健全さ”を保っていたようにも感じられた。

 日本のメジャーな商業映画の企画として、薬物を肯定するように思われるドラッグムービーを成立させるのは困難だ。しかしそうしたビジネス的事情以前に、日常の感覚として、映画の舞台となったパリとNYに比べ、日本の一般社会においてドラッグの存在感がとても薄いことが映画にも表れているだろう。実際に私が上記の都市に滞在していた頃の話をさせてもらうと、ドラッグ中毒者の徘徊や売買などが白昼から平然と行われていたことに最初驚いたものだ。しかし日本では(少なくとも現在は)そうした状況ではない。隠れた場所で行われていることだと認識されているだろう。

20160523-kentokazu9.jpg『ケンとカズ』場面写真

 そんな社会の隠れ蓑で覚醒剤密売を行う若者らの悲劇を真摯に描いたインディーズ映画『ケンとカズ』は、ドラッグムービーというよりは王道の青春映画の印象が強い。地方都市、貧困、家族崩壊など現代社会の問題となる要素が並置され、そこにドラッグも加わる。社会の底辺から脱出することを救いとするヒューマンドラマの正統派だ。ドラッグ戦争にまつわる善悪の揺らぎをテーマにしたドゥニ・ヴィルヌーヴの力作『ボーダーライン』が記憶に新しいが、『ケンとカズ』にそれらメキシコ麻薬カルテルを舞台にした作品群とどこか通じるものがあったのは、ドラッグと金、暴力、そして人間関係が負の因縁をもつ事態を克明に描き出しているからだ。

      

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