なぜ彼らは残虐行為ができるのか? メキシコ犯罪組織との戦い描く『ボーダーライン』が問うもの
映画『ボーダーライン』のアメリカ本国でのタイトルは"Sicario"である。これは、スペイン語で「殺し屋」を意味する言葉だ。本作ではその語源に解説が加えられている。これはもともと「短剣の男」を意味するラテン語で、同時に「武装したユダヤ教の狂信者」、すなわちマントの中に短剣を隠し、異教徒を闇で殺害していたという武力組織「熱心党」の実行部隊のことでもある。キリストが生きていた時代は、彼らによる殺人事件が日常的に多発していたという。 新約聖書のなかでは、十二使徒のひとりに「熱心党のシモン」という人物も登場する。シモンは聖書のなかでも記述が少ない謎の人物で、実際に武力組織に入党していたかどうかは定かではないが、聖人の伝記集「黄金伝説」のなかで、キリスト教に改宗した彼が、異国の地で異教徒の手によって生きたままノコギリで体を切られ吊り下げられるという、まさに本作で描かれたような状況で、殉教者として最期を遂げたことが記されている。
メキシコ犯罪組織の現在の蛮行は、このような古代や中世の暴力的暗黒時代に世界を引き戻そうとするかのようだ。それを意識したのか、2015年にボスが逮捕された実際の麻薬犯罪組織は、自らを「テンプル騎士団」と名乗っていた。ここでは、非人間的な暴力行為の起源を古代や中世ヨーロッパに求めているのである。暴力行為は全人類に共通する問題である。現代のアメリカですら「衝撃と畏怖」と称しイラクの街を爆撃し見せしめを行うなど、やっていることはメキシコの犯罪者集団に近いものがある。本作の麻薬組織のボスは、このような暴力について「誰がこれを始めた?」と問いかける。それは麻薬戦争の報復合戦を示していると同時に、歴史的、世界的なスケールで我々に突き刺さってくる言葉だ。
「なぜ彼らは、こんなにも非人間的な残虐行為ができるのか」
本作では、ケイトの物語とともに、シウダーフアレスの汚職警官と幼ない息子の物語が並行して語られている。警官は犯罪に加担しながらも、家庭では善き父親として描かれ、息子は典型的なメキシコのサッカー小僧だ。元気にサッカーに興じる少年達のすぐ近くでは、今日も銃声や爆発音が鳴り響いている。彼らはごく一般的な小市民だが、そのような普通の人々までも残虐な暴力や犯罪の世界に、すでに巻き込まれているのだ。キリストの生きた時代、暴力や殺人は日常的な風景だった。その恐怖のなかで生まれる子供達は、モラルから切り離された現実のなかで生きることになる。我々がその時代、その環境に置かれたとしたら、非人間的な残虐行為から果たして無関係でいられるだろうか。『ボーダーライン』の真の凄さは、このように「暴力」というものを、メキシコ麻薬戦争の中だけで完結させず、より大きな枠組みの中で捉えた作り手の確かなまなざしにこそあるだろう。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ボーダーライン』
角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほかにて公開中
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本:テイラー・シェリダン
撮影監督:ロジャー・ディーキンス
出演:エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン
配給:KADOKAWA
提供:ハピネット/KADOKAWA
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公式サイト:http://border-line.jp/