嵐・二宮和也が、ドラマ『赤めだか』と『坊っちゃん』に挑む背景

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(C)タナカケンイチ

 アイドルグループ・嵐で活動する傍ら、俳優としても高い評価を受けている二宮和也。クリント・イーストウッドの映画『硫黄島からの手紙』や、倉本聰・脚本のテレビドラマ『優しい時間』『拝啓、父上様』(ともにフジテレビ系)などに出演し、大御所のクリエイターから絶賛されている。一方で、『流星の絆』(TBS系)や『フリーター、家を買う』(フジテレビ系)といったドラマに出演して、格差社会を生きる現代の若者の苛立ちや焦燥感を演じさせたら右に出るものがいない存在感を、2000年代にはみせていた。

 しかし30代を超えた現在では、さすがに現代の若者を演じることは難しくなってきている。かといって、おじさんを演じるには外見が若すぎる。2014年に放送された『弱くても勝てます~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~』(日本テレビ系)で演じた教師役は、青年と中年のはざまにいる二宮が直面している年齢の壁が垣間見える作品だった。あれ以降、連続ドラマの出演がないことを見ると、今は年齢の面において、役者として過渡期にあると言える。

 そんな二宮にとって、今後の試金石となりそうなのが、2015年に12月28日に放送された『赤めだか』(TBS系)と、今年の1月3日に放送される『坊っちゃん』(フジテレビ系)だ。

 『赤めだか』は落語家の立川談春のエッセイを原作とするドラマ。立川談志の弟子となった談春の下済み時代を描いた物語で、師匠の談誌との関係や、弟子仲間との友情が描かれている。『黒い十人の黒木瞳。』(NHK-BS)や『ミエリーノ柏木』(テレビ東京系)といった異色作を手掛けたタカハタ秀太の演出はPV的で、劇中ではローリング・ストーンズやザ・ブルーハーツ等の音楽が延々と流れている。トリッキーなカットも随所に入るが、それを悪目立ちにしないのは、物語の骨格がしっかりとした青春ドラマとなっているからだろう。これは脚本・八津弘幸、プロデューサー・伊與田英徳という『半沢直樹』や『下町ロケット』(ともにTBS系)といった池井戸潤ドラマを手掛けてきた二人の功績が大きい。

 正直言うと最初は『赤めだか』ってこんなにストレートな青春譚だったっけ? と戸惑った。原作は、談春の切れのいい文体のせいもあってか、あまりウェットにならず、それこそ落語のように、面白おかしく語られている。もちろん、時々切なくなる瞬間はあるのだが、それを全面に打ち出してはおらず、ノスタルジックな味付けもここまで濃くはなかった。

 物語は、談春が弟子時代に体験した出来事が時系列順に進んでいく。その中で印象に残るのは、談春が聴いた立川談志の言葉だ。例えば落語は、『忠臣蔵』で赤穂四十七士にならずに逃げちゃった奴らが主人公の物語なんだ、という話や、「現実は正解なんだ」と語る嫉妬をめぐる話は、とても心に残る。ドラマ版では、そういった談志が語った数々の名言が、物語の転換点に配置されており、そんな談志の名言と出会った談春が、落語家として精進していく師弟愛の物語になっている。

 また、ドラマ版では、談志を演じるビートたけしの演技もあってか、弟子を見守る師匠の姿が明確な意図をもって描かれている。たけしの演技は無言でたたずんでいるだけで過剰な意味が生まれる。もしも違う役者が談志を演じていたら全然違うものになっていたかもしれない。軽薄なテレビマンや、リリー・フランキーが演じる辛辣な評論家の描き方には、あまりの安直さに思わず苦笑してしまったが、これも『下町ロケット』にある勧善懲悪的な描写の延長上にあるものだろう。

 原作を発表した当時は存命だった立川談志が、今はもう亡くなっていることの影響も大きいだろうが、ここまで直球の青春ドラマに書き換えたのは、原作の核をうまく抽出していると感じた。このノスタルジックな青春ドラマの主人公として二宮は見事に役割を果たしている。落語のシーンも才気走ったものがあり、後半登場する濱田岳との掛け合いも面白かった。

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