『マイ・ファニー・レディ』に漂う“優しさ”の由来は? P・ボグダノヴィッチ監督の過去から考察
ボグダノヴィッチの女性関係について少々揶揄したが、この映画で主人公アーノルドが「君のために3万ドルをプレゼントする」と女性たちに奇妙な申し出をし、彼女たちの人生を変えてゆくことを描いているのは、どことなくボグダノヴィッチ本人の人生と重なる点も興味深いところ。シビル・シェパードとの交際が終りを告げた頃、ボグダノヴィッチは新たな監督作『ニューヨークの恋人たち』(81)のオーディションでドロシーという名の女優の卵と出会い、本作同様、恋に落ちてしまったのである。
『オズの魔法使』(39)でカンザスの田舎から“魔法の国”へと迷い込んだ少女ドロシーの如く、女優の卵であるドロシーもまたカナダの地方都市からハリウッドという“夢の国”へと迷い込んでいた。その彼女、ドロシー・ストラットンは、当時19歳。「プレイボーイ」誌に送られてきた写真がヒュー・ヘフナーの眼にとまり、彼女は1979年8月号のプレイメイトとして脚光を浴び、1980年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれたばかりだった。ヘフナーの意向もあり、彼女は女優の道へと進むことになったのだが、テレビドラマのゲスト出演や、お色気SFの2級作品『ギャラクシーナ』(80)に続いて出演した映画が、ボグダノヴィッチの『ニューヨークの恋人たち』(日本劇場未公開)。撮影中にふたりは交際を開始。ドロシーの妹ルイーズと3人で暮らし始めるのだが、実はドロシーには夫がいたのである。
地元のファストフード店でバイトしていたドロシーを口説き落とし、ヌード写真を撮影して「プレイボーイ」に送ったのは誰であろう、彼女の夫だった。ドロシーは、夫の言うがまま不本意に『ギャラクシーナ』へ出演したといわれているが、彼女にとってボグダノヴィッチとの出会いは、本作の主人公アーノルドと同じような存在であったことは想像に難しくない。
しかし、1980年8月14日。離婚交渉のため夫宅を訪れたドロシーは、ショットガンで顔を撃ち抜かれ即死。夫もまた同じショットガンで自らの頭を撃ち抜いたのだ。
この事件は、ボブ・フォッシー監督によって『スター80』(83)として映画化され、81年にはテレビ映画も製作されているが、実は後日談がある。残された妹ルイーズの生活を支えたのは、ボグダノヴィッチだった。彼はルイーズの学費を支援し、モデル教室にまで通わせたと言われている。そして、ドロシーのことをよほど愛していたのか、ボグダノヴィッチはルイーズの顔をドロシーそっくりに整形手術させたのである。そして彼女が20歳になるのを待って、ボグダノヴィッチはルイーズと結婚。当然のごとく世間はボグダノヴィッチの行動を責め立て、そして、笑い者にした。
時代が経ても、『マイ・ファニー・レディ』を観た世界の映画ファンの多くが、僕と同じように過去のスキャンダルを思い出し、そのことと映画の内容を結びつけるに違いない。そんなことは、ボグダノヴィッチにだって判っているはずなのだ。にもかかわらず、ボグダノヴィッチを取り巻く女性たちが今なお彼の元に集まり(過去ボグダノヴィッチ作品に出演した女優たちがカメオ出演しているのも本作の魅力のひとつ)仕事を共にしている。それは、ボグダノヴィッチを愛した女性たちが、そっと彼の哀しみを理解しているからではないだろうか。この映画に、えも言われぬ優しさが漂っている理由はそんな所にあるのかも知れない。
そして何よりも、本作のプロデューサーであり共同脚本を手掛けている“元妻”は、誰であろう、ルイーズ・ボグダノヴィッチ改め、亡きドロシーの妹であるルイーズ・ストラットンなのだ。冒頭のインタビュー場面でヒロインのイザベラは「ハッピーエンドが好き」と応えている。それは、過酷な人生において「映画の中だけでもハッピーでありたい」という本作に関った人たちの切なる願いにほかならない。
■松崎健夫
映画評論家。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『ZIP!』(日本テレビ)、『キキマス!』(ニッポン放送)などに出演中。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。Twitter
■公開情報
『マイ・ファニー・レディ』
12月19日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
製作:ウェス・アンダーソン、ノア・バームバック
出演:オーウェン・ウィルソン、イモージェン・プーツ、キャスリン・ハーン、ウィル・フォーテ、リス・エヴァンス、ジェニファー・アニストン
配給:彩プロ/2014年/アメリカ/93分/アメリカンビスタ/5.1ch
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