シカに運命を狂わされた三兄妹の行き着く先は? 足利発『ディアーディアー』の魅力

足利発『ディアーディアー』の魅力に迫る

 すべてはレイトショーから始まる。日本映画を代表する名匠たちの中にも、そのキャリアをレイトショー作品から始動させた人は数多い。

 そして今宵も、映画ファンに祝福されながら、ひとつの作品、才能がレイトショーにて上演される。それは端的に言うならば、夜な夜な21時ごろを目安に多発する「目撃談」ということになるのかもしれない。そうやって誰かと誰かの目撃談が重なり合ったところで、はじめて映画の存在が方々へと広がっていく。

 そんな密やかな「目撃」の楽しみを共有できる逸品が誕生した。その名も『ディアーディアー』。不可思議な呪文のようにも聴こえるそのタイトルは、英語表記にすれば"Dear Deer"。親愛なるシカ。シカをめぐる映画というよりは、シカに人生を振り回された人たちの物語と言うべきか。

まぼろしのシカを目撃した三兄妹の悲喜劇!?

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 物語の舞台は足利市にある山間の町。昔、ここにはリョウモウシカと呼ばれるシカが生息していたという。長らく絶滅したと信じられていたが、今から二十年前、とある三兄妹が山の中でこの伝説の生き物に遭遇したことで町は大騒ぎに。一躍“時の人”となった三兄妹だったが、ひとたびブームが去ると目撃談そのものも虚偽とみなされ、彼らは「うそつき」の烙印を押されてしまい……。

 この顛末だけでも一本の映画が出来てしまいそうだが、これらはプロローグとしてアニメーション(和田淳が手掛けるこのシークエンスが素晴らしい!)で語られるのみ。むしろカメラはそれから二十数年後、大人になった三兄妹にこそ向けられるのだ。

 予想通り、彼らの人生は「シカ」の一件でメチャクチャになった。長男(桐生コウジ)はその後も家業とおやじの借金を背負って故郷に縛られ続け、次男(斉藤陽一郎)はシカ事件で精神を病んで入退院を繰り返し、末娘(中村ゆり)はサッサと駆け落ちして飛び出していった。

 そんな三兄妹たちが、父親の危篤の知らせを受けて久方ぶりに故郷で再会する。これで事件が起きないわけが無い。

 面白いことに、三兄妹は再会しても「シカ」の話題に触れることはない。彼らの中で口にすることすら苦痛なタブーとなっているようで、彼らの言動や会話もひとつの同心円状をぐるぐると徘徊するように核心に触れぬまま漂うばかりだ。

 しかし冒頭のアニメーションで「事の次第」を知っている観客には、その「ぐるぐる」の中でさまざまな痕跡や傷跡を発見することができる。それを言葉として共有しない分だけ、逆に彼らがどれほどの痛みを負っているのか深く察してしまうというか。このあたりの心理の突き方、観客との登場人物とのタブーの共有の仕方が舌を巻くほど巧いのである。

緻密に計算された構成、カメラワーク

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 これだけではない。『ディアーディアー』はレイトショー作品と思って舐めてかかると返り討ちを食らうくらいにクオリティが高い。たとえば序盤、斉藤陽一郎演じる次男がバスで帰郷を果たす場面。カメラはひとつのアングルにて憂鬱そうな斉藤の表情、そして車窓から臨むご当地の風景を見事に切り取って観客に提示する。言葉なんて要らない。この一画面だけで、彼がどんな気持ちで故郷に足を踏み入れようとしているのかが伝わってくる。

 緻密な計算による構成も光る。三兄妹はやがてそれぞれの領域でトラブルに翻弄され、カメラは三者間のエピソードを足しげく往復することになる。一見、バタバタしてしまいそうなものだが、ここの手綱さばきも実に鮮やかだ。いっさい流れが淀むことなく、全ての勢いをストレートな追い風として、ドライヴ感はさらに増すばかり。もうひとつ言っておくと、作中で観られる中村ゆりのタンクトップにサスペンダーというスタイルは、最強すぎてぐうの音も出ないほどである。

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 そして白眉なのは葬儀のシーンだ。ここでカメラが見せる長回しの凄さ。そして役者陣が魅せる、まさに文字通りの「修羅場」。なんという劇的な空間だろう。すべての要素が渾然一体化してゴールを狙いに行っている。決してこれ見よがしなスタイルではなく、確固たる自信からこういった野心的な試みにあえて挑んでいるところが、観客を静かに燃え上がらせるポイント。ここまで辿り着くと我々は、この映画のことが大好きになっている。もう恍惚のため息しか出ない。

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