名もなき乳母は名写真家だったーー『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が導き出す真実

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』の魅力

 今年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた話題作が、待望の日本公開を迎えた。

 筆者はこの映画を昨夏、イギリスの地方都市のアートシアターで鑑賞したのだが、常時7、8本の映画を上映するその劇場では本作をイチオシ作としてプッシュしており、客席は映画好きの学生からアートに関心の高そうなミドル層、さらに仲間どうしで連れ添った奥様方や上品そうな高齢のご夫婦など、実に多彩な客層で彩られていたように思う。いざ映画が始まると「事実は小説よりも奇なり」な展開に深いため息がたびたび聞かれ、上映後は館内に貼られたポスターの前で多くの人が感想を語り合い、なかなか帰途に就こうとしなかった。

 この映画は極めてユニークだ。人を深遠な気持ちにさせる不思議な魅力を持っている。メインとなるのは、ひとりの女性写真家と、彼女が撮りためた15万点にもおよぶ作品たち。興味深いことに彼女は、生涯にわたってそれらの写真を誰にも見せることがなかったという。

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 事態が動き出すのは彼女の死後しばらく経ってから。この映画の監督でもある青年ジョン・マルーフが、とあるガラクタ市のオークションで大量の古い写真のネガを競り落としたのだ。それらをスキャンしてパソコンで読み込むと、そこには目を疑うほどの素晴らしい画像が映し出された。彼はこの写真をネットで紹介すると同時に、自らもネガの束に含まれていたメモを手がかりに撮影者について調べ始める。そこで辿り着いた「ヴィヴィアン・マイヤー」という名前。実は彼女は女性写真家ではなく、ナニー(乳母)として生きた女性だった――。

 本作では静かな驚きが幾つも押し寄せる。まずはファースト・インプレッション。つまり彼女の写真をまっさらな状態で目にした時の瞬発的な感動。スクリーンを介してモノクロの画像が胸に沁み込んできた時、不覚にも涙がこぼれてしまった。特に40年代、50年代のストリートを切り取ったショットの数々は、構図といい、被写体の表情といい、実に味わい深くて、なおかつユーモアに満ちている。もちろん当時の文化を克明に伝えるという記録資料的な価値も極めて高いのだろう。

 その意味で本作は、「誰も知らなかった写真家の作品を劇場で共有する」という密かな楽しみと高揚にあふれている。名もなきナニーが素晴らしい写真家であったなんて、こんなにも素敵な神秘には滅多に立ち会えるもんじゃない。

 と同時に、マルーフ監督が明らかにしていくのはヴィヴィアンの素顔だ。こういった展開は一昨年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門のオスカー受賞作『シュガーマン 奇跡に愛された男』とも通じるものがあるだろう。ひとつの伝説を切り口に、作り手が探偵のような執念で真相を解き明かそうとするわけだ。

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 これがもう一つの静かな驚きとなる。実際に乳母としての彼女の世話になった「かつての子供ら」は、それぞれに思い出を口にする。いつも首からカメラをぶら下げ、街の変わった場所や通りに連れて行かれたこと。様々な人にカメラを向けるので子供ながらに気まずい思いをすることも多かったこと。そして時にはヴィヴィアンが子供らに行き過ぎたしつけを行ったり、なおかつエキセントリックで、ミステリアスな側面も強かったこと……。どうやら少なからず彼女は複雑な人間性を抱えた人物でもあったようだ。

 私を含めた身勝手な観客にとってみれば「素晴らしい写真を遺したナニーは性格も素晴らしい、まるで聖人のような人物でした」とならないところこそ、この映画のたまらない魅力だし、まさに「事実は小説よりも奇なり」な部分。僕らはヴィヴィアンの影を知ることで、よりいっそう光を意識することができるようになる。

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