千街晶之のミステリ新旧対比書評 第12回:坂口安吾『不連続殺人事件』×飛鳥部勝則『抹殺ゴスゴッズ』
純文学作家が執筆したミステリ小説の中でも、最も知名度が高く、かつ傑作として定評があるのは、坂口安吾の『不連続殺人事件』である。1947年から翌年にかけて雑誌「日本小説」に連載され、1948年に単行本としてイヴニングスター社から刊行。その後、数多くの出版社から再刊されているが、現在は角川文庫版、新潮文庫版、中公文庫版が現役で手に入る。
ミステリ小説の傑作・坂口安吾『不連続殺人事件』
1947年夏、N県の資産家・歌川多門の邸で連続殺人事件が発生した。当時、歌川家には作家の矢代寸兵(語り手)ら大勢の男女が多門の息子・一馬に招待されて集まっていたが、一馬はそのうちの数人には招待状を出した覚えはないという。矢代の妻・京子は多門の元妾であり、一馬は異母妹の加代子と密かに愛し合っている。一馬の妻・あやかに捨てられた元彼の土居光一まで乗り込んできたばかりか、一馬の妹・珠緒は3人の文士を手玉に取っている……といった具合に、1カ所に集合させては絶対いけない面々が互いに顔をつき合わせることになってしまい、殺人事件ぐらい起きてもおかしくない状況ではあった。
本書は雑誌連載時、「この探偵小説には私が懸賞をだします。犯人を推定した最も優秀な答案に、この小説の解決篇の原稿料を呈上します」という著者から読者への挑戦が掲載された(結局、賞金は著者が自腹を切った)。事件発生当時、歌川邸には家族と来客のほか、使用人や居候の親族などもおり、29人もの男女がいたかたちとなる。犯人当てとしては人数が多すぎると思うかも知れないが、被害者数が多いので終盤には結構減るし、流石に坂口安吾だけあってアクの強い登場人物たちの描き分けは見事なものである。
第1章の章題は「俗悪千万な人間関係」というものだが、歌川家当主の多門は好色漢で、多くの妾や元妾、隠し子がいる。歌川一族以外の登場人物の間柄も、乱脈な性関係を繰り広げていたり、仮面夫婦が互いを疎んじていたり……と、愛欲と憎悪が複雑に絡み合っている。しかも招待客の多くが文士や芸術家であり、一般的な倫理観は持ち合わせていない。要するに、奇人変人大集合である。
だが、エキセントリックな登場人物だらけで、誰がどんな言動を示しても「そういうものか」と流してしまいそうになるこの雰囲気こそが、本書の狙いを隠しているのだ。探偵の巨勢博士は、出鱈目に人が殺されているようにしか見えないこの「不連続」殺人事件に隠された合理的な動機を指摘するのみならず、ある人物の行動を「心理の足跡」と表現し、犯人特定の手掛かりとして指摘する。この巧妙極まる狙いは、江戸川乱歩をはじめとする当時の探偵文壇の人々をも感嘆させ、本書は第2回探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞した。
■本格ミステリ作家・飛鳥部勝則の特色
奇人変人ばかりが出てくる本格ミステリの書き手といえば、現役作家で群を抜く存在が飛鳥部勝則である。1998年に『殉教カテリナ車輪』(創元推理文庫)で第9回鮎川哲也賞を受賞してデビューし、アートに関する知識で彩られた本格ミステリの書き手として評価を高めていったが、どんどん怪奇幻想嗜好の要素が濃くなり、2005年の『鏡陥穽』(文藝春秋)、2008年の『堕天使拷問刑』(ハヤカワ文庫JA)、2010年の『黒と愛』(早川書房)で完全に独自の境地に至る。この『黒と愛』の刊行以降、長篇の発表は長らく途絶えていたけれども、近年、熱心なファンの要請に応えて旧作の復刊が続き、2025年には書き下ろしで『抹殺ゴスゴッズ』が早川書房から刊行された。実に15年ぶりの長篇である。
『抹殺ゴスゴッズ』は、令和と平成の2つの時代を往還する構成となっている。令和パートの主人公は高校生の利根詩郎、平成パートの主人公は詩郎の父・利根正也の高校生時代。詩郎はある日、同じ高校の生徒・西郷寺桜が荒くれ男たちに殴打されているのを目撃する。詩郎はそれを制止すべく警察に通報しようとしたが、非力な高校生の身、同様に暴行を受けてしまう。だが彼が空想で創った怪神「コドクオ」の名を唱えた時、実際に怪神が出現して男たちをあっという間に薙ぎ倒した。
一方、平成パートでは、正也の友人・神門考一の祖父にあたる地元の名士・神門大善のもとに、「蠱毒王」を名乗る者からの脅迫状が届く。少し前に、神門総合病院の元看護師の老女が変死していたが、その件が関係しているのだろうか。そして予告通り、迷路のような金山の坑道を改造した観光施設の開幕の日、殺人事件が起きる。
この平成パートは、名門一族の確執を中心とする、比較的オーソドックスなスタイルの探偵小説仕立てだが、下手な役者のように芝居がかった喋り方をする人形師など、明らかに普通ではないキャラクター造型を施された人物が登場している。だがその点では、令和パートがもっと凄まじい。冒頭で暴行を受けていた西郷寺桜は、実は詩郎に執着するストーカー。意識を取り戻すや否や、「詩郎君。私の胸に触りたかったんでしょう詩郎君。いやらしく、乳房を揉みしだいてみたかったんですよね。どうぞ」と宣うのだ。個性的とかいう域を通り越している。こんなヒロインがいていいのだろうか? しかも、ヒロインなのにその後すぐに姿を消し、どうなったかわかるのはだいぶ後のことである。桜の父で美術館館長の西郷寺伝堂もどこか変だし、詩郎の親友・木槍聖夜も相当な奇人である。
こうした奇人変人が続々と登場するのは著者の作風の特色だが、彼らの異常な言動に手掛かりや伏線が紛れ込ませてあるのだから全く油断できない。作中の不可能犯罪も、実際に怪神が出現したかのような怪現象も、すべて本格ミステリとして説明されるのであり、そのあたりは『不連続殺人事件』を更に過激にしたような趣だ。平成と令和、2つのパートを貫く犯人像と動機には驚愕と戦慄を禁じ得ない。しかも、終章ではそれまでのドロドロした展開が嘘のように叙情的な結末を迎えるあたり、著者にしか出せない味であることは間違いない。