「本屋 × クラフトビール」の贅沢な時間ーー「sabo beer bar & bookstore」店主・小林潤が語る、雑誌的空間の楽しみ方

「まずは一杯、どうぞ」

クラフトビールは8種類ほど用意されている。

 店主の小林潤さんより差し出されたグラスには、奥多摩に醸造所を構える人気ブルワリー「VERTERE」のIPA「Passiflora」が注がれている。見るからにきめ細やかなその液体は、口に含むとトロピカルな風味がふわりと広がり、シルキーな喉越しの後には、爽やかなホップの香りが余韻を残すーー実に美味い一杯だ。

クラフトビール初心者にも親しみやすい「Passiflora」。

 元・リアルサウンドブックの編集部員だった小林さんが、東京都江東区の清澄白河エリアにクラフトビールと読書が楽しめる大人の隠れ家的なお店「sabo beer bar & bookstore」を2024年末にオープンしたと聞き、遅ればせながら取材に訪れた。

 都営地下鉄新宿線・菊川駅から徒歩で約5分、下町の風情が残る路地裏に「sabo beer bar & bookstore」はある。開放的なガラス戸を潜ると、まるで海外の気の利いたビアバーを訪れたかのように錯覚する。落ち着いた照明のほどよく薄暗い店内、開放感のある高い天井、よく手入れされたグリーンがそこかしこに配され、使い込まれた調度品がゆったりとした時間を演出する。カウンターには磨き上げられたビールサーバーが並び、手前の黒板には「スパイスピクルス」や「ローストビーフ赤ワインソース」といったフードメニューが手書きで記されている。入って左手には大きな本棚があり、小説から哲学書、写真集まで興味深い本が並ぶ。

奥にはソファ席もあり、ゆっくり過ごすことができる。

 どこか異国情緒のあるインテリアは、ドイツの写真家、ヴォルフガング・ティルマンスの撮った部屋のイメージをもとに、「写真家が東京の下町に家を借りたら」というコンセプトで、Atelier THREEの三谷眞也さんが手がけた。こんな店で日がな一日、クラフトビールを味わいながら本が読めたら、どんなにか素敵なことだろう。

 店名の由来となったフランス語「sabotage(サボタージュ)」にあやかって、筆者も仕事をサボってのんびり休みたくなってしまったが、せっかく後輩が出したお店である。店主である小林さんの人となりとともに、お店の魅力を存分にお伝えしたい。

ガラス戸に描かれた「sabo beer bar & bookstore」のロゴ。

 小林さんは2020年から2021年までの約2年間、リアルサウンドブックの編集部員としてさまざまな記事を発信してきた。先日、日本人初のダガー賞を受賞したことでも話題となった王谷晶さんの『ババヤガの夜』(河出書房新社)についての対談企画や、『「させていただく」の語用論』で注目を集めた言語学者の椎名美智さんにいち早くインタビューするなど、新鮮な切り口の企画を展開していたが、そうした仕事の延長線上にはさらなる夢があったようだ。

 学生時代は、法学部の勉強よりもダイニングバーやクラブでのバイトに精を出し、いつかは漠然と自分の店を持ちたいと考えていたという小林さん。大学四年のときには休学してカナダのトロントに留学し、新聞社でインターンを経験したことからジャーナリズムに興味を持ったという。ただ、すぐに就職活動をしたわけではなく、卒業後は一年間かけて世界一周旅行を敢行し、見聞を広めた。

小林潤さん。ガールフレンドは募集中。

「沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れて、俗にいう西周りーーモンゴルからシベリア鉄道でロシアへ行き、北欧・ヨーロッパを巡り、スペインでは300kmの巡礼路カミーノ・デ・サンティアゴを歩破しました。その後、南米最南端ウシュアイアからコロンビア最北端まで陸路で縦断して、キューバやメキシコ、ロサンゼルスを経由して帰国するルートで、世界一周、35カ国を周りました。

 たくさん思い出があるけれど、中でも印象深かったのは社会主義国のキューバ。当時は現地人の通貨と海外旅行者用の通貨が分けられていて、同じ国の中に二つの時間が流れているような印象でした。社会主義国だから、現地の人はあまりお金を持っていないんだけれど、ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って、みんなで大合唱するような陽気な国民性がある。その土地の環境や気候によって国民性が形作られるようなところはたしかにあって、それぞれの国の人たちと交流することで多様な価値観に触れることができたのは、大きな収穫でした。だけどその一方で、歴史的な背景はそれぞれの国ごとに複雑で、その価値観の深い部分は、一旅行者が簡単に理解できるようなものではないということも、旅を通して学びました」

選書からも小林さんらしさが伝わる。

 子どもの頃から本は好きで、小学生時代は大流行していた『ハリー・ポッター』シリーズや『デルトラ・クエスト』シリーズなどの児童文学をはじめ、アガサ・クリスティの推理小説にも夢中になった。高校生になると、伊坂幸太郎、東野圭吾、橋本紡、村上春樹といった作家の小説を読み、そこからJ・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』などの海外文学にも触れるようになる。世界一周の旅をしていたときも、たくさんの本を読んだ。

「角田光代さんの『愛してるなんていうわけないだろ』(1991年)というエッセイ集に、『その土地で生まれた文学を、その土地で味わうことほど贅沢なことはない』といったことが書かれているのですが、たしかにスペインでヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』を読んだのは特別な経験でした。作中の建物や風景を実際に目にしたことで、作品への理解が深まったと思います。読書はどこでもできるものだけれど、実際のところ“どこで読むか”は意外と大事なことではないでしょうか」

フードはビールに合うことを大前提に、小林さんが作りたいもの、食べたいものを取り揃える。仕事帰りの方向けに、パスタやカレーなども提供。月一でハンバーガーイベントも開催している。(撮影=小林潤)

 編集者の仕事を経験したことも、アイデアの源になった。情報を取捨選択して、掛け合わせて、自分なりの切り口で企画を練り上げること。人に面白いと思ってもらうために、何がフックとなるかを考えること。企画を実現するために、段取りを考えて人々の協力を得ることーー広い視野で編集という仕事を捉えたとき、カルチャー雑誌の立体版としての「本屋 × ビアバー」という形態を思いついた。

思わぬ本との偶然の出会いを楽しみたい。

 思い立ったらすぐに行動せずにはいられない小林さんは、箱根にあるクラフトビール醸造所が併設されたブリュワリーレストラン「GORA BREWERY & GRILL」で約2年間修行をしたのち、晴れて住み慣れた街である清澄白河エリアに店を構えたというわけだ。

「海外に行ったときもそうだったんですけれど、あまり深くは考えずに“とりあえずやってみよう”と動いちゃうタイプなんです(笑)。清澄白河エリアを選んだのは、もともと住んでいたということもあるけれど、個性的なお店や古本屋さん、ミニシアターや現代美術館もあって、カルチャー感度が高い人が多い場所だという印象があったから。昔ながらの下町らしさが残りつつも、新しい風も吹いていて、理想的な場所だったんです」

ヴィンテージなソファはインテリア好きからも好評。

 たしかに“大人の休日”を楽しむにはうってつけの街かもしれない。小林さんに、この街での理想の休日の過ごし方を聞いてみた。

「例えば、ランチの握りがお得に楽しめる江戸前鮨の『北前』でお腹を満たした後は、映画館『ストレンジャー』で映画を観て、『深川温泉 常盤湯』で一汗かいて、ウチのお店でビールを飲みながら本を読む、なんていう過ごし方はどうでしょう? ブックカフェは結構あるけれど、ブックバーはあんまりないですよね。お酒を飲んだら本は読めないという人もいるけれど、こういう空間でほろ酔いしながら本を読むのってすごく贅沢な時間だと思います。ぜひ、その体験を味わってほしいです」

 ところで、同店に置いてある本を眺めてみると、アナキズム、フェミニズム、社会学、人類学などの本が目立つ一方で、いわゆる売れ筋のベストセラーなどはほとんど置いていないことに気づく。どんな観点で本を選んでいるのだろう。

リアルサウンド ブック編集部が手がけた本も置いてくれている。

「いわゆるビジネス書とか自己啓発本のような“何かの役に立てるための本”は置いていないです。一度読んだだけではよくわからないような人文思想系の本とか、大型の写真集なんかを置いています。一回読んで“わかった”と思えるものって、実はそんなに大きな価値はなくて、むしろ簡単にはわからないものにこそ、豊かなものがあるんじゃないかと思うんです。僕自身の経験を振り返っても、目的を絞って動いたことよりもむしろ、ふと寄り道したときに積み重なっていったものから、ぼんやりと何かが生まれてきたような気がします。ぜひうちのお店の本を手に取って、思考が迷子になる感覚を楽しんでほしいんです」

 そんな「sabo beer bar & bookstore」では現在、月に2~4回を目安に、小林さんが注目する著者のトークイベントなどを開催している。今年6月には、岩波新書『ケアと編集』著者である白石正明氏を迎えて、編集術についてのトークイベントを開催し、盛況を博した。今後はイベントを継続しながら、さらに本のラインナップを充実させるとともに、ゆくゆくは自ら出版事業も手がけていきたいと語る。

「哲学者の森元斎さんの『ただ生きるアナキズム』という本に、“国家に対する段ボールであれ”という一文があったんです。デモ活動をするとか大それた政治活動をせずとも、段ボールのような“よくわからない存在”であるだけで、国家や社会にはなにかしらの影響を与えられるのかもしれない、と。僕もそんな感じの存在を目指しているというか、本屋だか飲み屋だかわからない店で、よくわからないことをやっているけれど、ちゃんと生きているし、なんだか面白い奴が集まっているなーーみたいな空間を作りたいんです。その延長で、雑誌なのか単行本なのかわからないけれど、あまり役立たない風変わりな本を作って売っていけたら面白いなと」

Tシャツは細野晴臣率いる「ティン・パン・アレー」のもの。

 清澄白河エリアを訪れた際は、ぜひ「sabo beer bar & bookstore」を訪れてみてほしい。ほかでは味わえない、豊かな読書体験と美味しいクラフトビールが堪能できるはずだ。

■店舗情報
「sabo beer bar & bookstore」
住所:東京都江東区森下4丁目23-4(Google Map)
アクセス:都営新宿線菊川駅 A2番出口より徒歩3分
15:00~23:00
定休日:月曜日
決済方法:現金、各種クレジットカード、電子マネー
Instagram:https://www.instagram.com/sabo_beerbar_and_bookstore/

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