高田漣に聞く、吉祥寺と文学と家族への想い 初小説『街の彼方の空遠く』執筆の背景

まめ蔵のカレーの香りが呼び起こす記憶

ーーポール・オースター、サミュエル・ベケット、カート・ヴォネガットの名前が出ましたが、漣さんご自身の読書体験は海外文学のほうが多いですか?

高田:自分の本棚は海外文学の方が多いかもしれないけど、半々かな。ウチの父の父、僕の祖父(高田豊)は詩を書いていて、文学の世界の端っこにいた人でした。森鴎外や永井荷風を好んでいて、大正から昭和初期の作品に携わっていたみたいなんです。母のお兄さん、僕の伯父さんも文学に精通していたし、普通の家よりもいろんな文学に接する機会が多かったんですよね。生まれ育ったのも三鷹、武蔵野あたりで、小学校でも当たり前のように太宰治を扱っていて。

ーー太宰が入水したのは三鷹市の玉川上水ですからね。

高田:子供の頃に「このあたりかな」って見に行ったりしていました。父の知り合いにも興味深い人がたくさんいて。この小説にも出てくるフォークシンガーの佐藤博さん、ガンさんって呼ばれてる方はもともと役者で、脚本家も長くやっていらっしゃって、雁田昇というペンネームで『おーい!はに丸』の脚本を書いていました。ガンさんの曲で「たんぽぽのお酒」という曲があって。タイトルはレイ・ブラッドベリの小説から取られているんですがーーたぶん僕がいちばん影響を受けている本だと思いますーー歌詞を書いているのが藤本和子さんで。藤本さんは翻訳家で、いちばん認知度の高い仕事はリチャード・ブローティガンの翻訳だと思いますが、ガンさんもステージで「この曲のタイトルはブラッドベリで、歌詞を書いてくれた藤本さんはブローティガンを訳した人で」みたいな話をしていて、僕はそれを子供の頃に耳にしていたんですよ。一世代、二世代くらい上のカウンターカルチャー的な文学というのかな。そういうものを自然と吸収しながら育ったんだと思います。

ーー同時代とは違う時代のカルチャーに影響を受けてきた、と。

高田:はい。同世代のミュージシャンは向井(秀徳)くんとかなんですけど、僕にパンクやニューウェイブ感がないのはおそらく、子どもの頃に見聞きしていたものの影響だと思います。僕が読書にのめり込んだのは高校生くらいなんですけど、その頃に読んでいたのはヴォネガット、ブローティガン、フィリップ・K・ディックだったり、ちょっと背伸びしてジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・S・バロウズだったり。どちらにしても10歳、20歳くらい上の人たちの経験に近いんじゃないかと思います。

ーー少しだけ違う時間軸で生きている感覚、幼少期から青年期にかけて吸収してきたものは、『街の彼方の空遠く』にも確実に流れていると思います。

高田:宮脇先生にも「ヴォネガットの影響はあると思いますよ」と言われました。もう一つは佐藤良明先生(アメリカ文学、音楽の研究家)の授業を受けたことも、人生における大きなポイントです。佐藤先生が訳したトマス・ピンチョンだったり、そこから興味を持ったグレゴリー・ベイトソンを読んだり。それがこの小説の最後のピースになってる感覚もありますね。特に第一幕を書いているときは、ピンチョン的なものを意識していて。空想の物語だけではなく、それを現実的な出来事とどうリンクさせるか。どうすればいちばん面白くなるかを考えて、「フロッピーディスクのなかにバイト先の先輩の卒論が間違って入っていて、それによってバグが起きる」という話を思い付いたんですよ。政治学科の学生が卒論で扱っていた1944~45年の史実がストーリーに滲み出てくるっていう。

ーー南米文学のマジックリアリズムにも通じる手法ですね。あとは漣さんもお好きな藤子・F・不二雄とか。

高田:そうですね。藤子・F・不二雄先生の“少し不思議=SF”という捉え方はずっと好きで。決して大袈裟な出来事ではなくて、日常に潜んでいるちょっとヘンなことというか。それこそボルヘスもそうですけど「どこかに異世界の入り口がある」みたいな感じも含ませているので。そういう発想で言えば、楳図かずお先生もすごく近い存在だったんですよ。

ーー長年、吉祥寺に居を構えていらっしゃいましたからね。

高田:まめ蔵(吉祥寺の有名カレー店)でも何度かお見かけしました。これは僕の友達から聞いたことなんですけど、チキンカレーを食べていた楳図先生が、鶏肉の皮をずっとフォークでイジってたらしいんですよ。友達は「チキン・ジョージ(「14歳」に登場する、バイオ鶏肉の細胞から誕生した天才科学者)は、まめ蔵のチキンカレーを食べてるときに思い付いたに違いない」と言ってたんですけど(笑)、もちろん本当かどうかわかりません。

ーー吉祥寺ならではのエピソードですね(笑)。

高田:そういう空気を吸っていたということですね。幕前は「母親に誘われて、まめ蔵に行く」というエピソードから始まるんですけど、実際、小さい頃から母親と一緒によく行ってたんです。カレーも好きだったし、お店に『AKIRA』(大友克洋)が置いてあって、行くたびに少しずつ読んでいたんです。二巻までまめ蔵で読んだんだけど、続きが全然出なくて。三巻、四巻が出たときはもう大学生になっていたんじゃないかな。大友さんはずっと大好きなんですけど、大人になって、吉祥寺の飲み屋でお見かけしたりしました。江口寿史さんにも仲良くしていただいてるし、吉祥寺周辺に住んでいる尖った漫画家の方々から受けた影響もかなりあると思います。吉祥寺のことを書こうとしたら、不思議といろんなものに引っ張られるというか。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に出てくるマドレーヌみたいな感じかも(笑)。

ーーまめ蔵のカレーの香りで、いろんな記憶が蘇る(笑)。『街の彼方の空遠く』は高田漣さんにしか書けない、しかも小説でしか表現できないストーリーが描かれていて、次の作品も期待してしまいます。構想などはありますか?

高田:実は一つあるんですよ。今年の二月に母が亡くなったんですけど、ここ数年、近しい人たち、先輩たちが亡くなっていて。よく考えれば自分もいつ死んでしまうかわからないし、生きてる間にやらなきゃいけないこと、書き残しておきたい話があるんですよね。「いつかやろう」と置いてたんですけど、それを先にやったほうがいいなと思って、少しずつ書き始めてます。まだどうなるか、まったくわからないですけれど。

■書誌情報
『街の彼方の空遠く』
著者:高田 漣
価格:2,706円
発売日:2025年6月27日
出版社:河出書房新社

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