連載:千街晶之のミステリ新旧対比書評 第2回 モーリス・ルブラン『三十棺桶島』×澤村伊智『予言の島』

■『三十棺桶島』から1世紀を経て刊行された『予言の島』

 さて、『三十棺桶島』が刊行された1919年から奇しくも1世紀後の2019年、澤村伊智の『予言の島』(角川ホラー文庫)という小説が刊行された。舞台は瀬戸内海の霧久井島。ここではかつて、宜保愛子と並び称された有名な霊能者・宇津木幽子が奇怪な最期を遂げていた。彼女は死ぬ直前、「我が命の絶えて二十年後 彼の島で惨劇が起こらむ(中略)翌日の夜明けを待たずに 霊魂六つが冥府へ堕つる」という予言を残したという。そしてちょうど20年後、幼馴染みたちと霧久井島に渡った主人公・天宮淳の周囲で、次々と人が死んでゆく。

澤村伊智『予言の島』 (KADOKAWA)

  この作品を横溝正史の『獄門島』へのオマージュとして執筆したことは著者自身が明言しているが(巻頭などにも『獄門島』からの引用がある)、私は『予言の島』を読んで、ルブランの『三十棺桶島』を意識した作品のように感じた。宇津木幽子の予言は作中でも言及されている通り、いかようにも解釈し得る幅があり、かつてオカルト・ブームの時代に一世を風靡したノストラダムスの予言を想起させるが、『三十棺桶島』の完訳版『棺桶島』でも、修道士の予言はノストラダムスのそれに準えられている。『三十棺桶島』の「神の石」、『予言の島』の怨霊による死といった超自然的な現象が、身も蓋もなく解明されるあたりも両作に共通する。

  だが決定的な共通点は、登場人物が予言に呪縛され、操られるように行動してしまう点だ。『三十棺桶島』の予言は、些か常軌を逸した修道士が気まぐれに書き散らしたものにすぎない。だが、それが自身の境遇と一致することに気づいた悪党の首領は、予言を実現させれば「神の石」が手に入ると信じて大虐殺を行なってしまった。『予言の島』の事件関係者には、予言を疑わない者も、全く信じない者もいる。しかし、1人、また1人と島で変死者が相次ぐにつれて、彼らの理性は失われ、いつの間にか予言の的中を信じ込んでゆくのだ。特に、宇津木幽子の血縁だったある人物が、幽子の影響に抗おうとしながらも結局迎える運命は痛ましい。

  既に記したように『三十棺桶島』の首領はドイツの貴人の実子という設定だが、のみならず当時のドイツ帝国の王家であるホーエンツォレルン家とも何らかの関係があるらしいとされている。この作品が発表された1919年の前年まで、著者ルブランの祖国フランスは第一次世界大戦においてホーエンツォレルン家のヴィルヘルム2世(ルブランの『813』『オルヌカン城の謎』などに登場)を皇帝として戴くドイツと対戦しており、執筆開始時点ではまだ戦争の最中だった。

  ルパン・シリーズの他の作品にも見られる通り、ルパンは怪盗であると同時に愛国者であり、ドイツは敵役として描かれる。この小説の首領が繰り広げる常軌を逸した残虐な犯行は、読者にドイツへの敵意を煽り立てる効果を与えたことだろう。首領を呪縛した予言のように、『三十棺桶島』という小説自体も、人に影響を及ぼし、煽動する言葉の連なりには違いないのだ。

  一方、『予言の島』は、そのような言葉の持つ恐ろしい力に遥かに自覚的な小説だ。『獄門島』には『三十棺桶島』からの影響があるという意見も存在しており、だとすれば、予言の要素が前面に出た『予言の島』は、あいだに『獄門島』を挟みつつ『三十棺桶島』からの隔世遺伝めいた小説だと言えるが、そのあいだに流れた1世紀の歳月は、言葉の持つ力の恐ろしさを小説の書き手に考えさせるには充分すぎる時間だったのだろう。

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