佐久間宣行が注目する若手作家・小原晩対談 話題作『これが生活なのかしらん』と「創作」について

佐久間宣行が注目する作家・小原晩対談

■隠しておきたい感情の中に大事なものがある

――小原さんは、佐久間さんの本で印象に残っているものはありますか?

小原:エッセイとフリートークが似ている、という話に通じるんですけど、ご著書の中で「トークテーマを選ぶときは感情が動いたことのほうがいい」って書かれていましたよね。ただ感動したというだけでなく、自分が恥ずかしかったこととか。それは確かに、って思いました。

佐久間:自分がいちばん知られたくないことをおもしろく話すことから始めたほうが効果があるなあと思ったんですよね。いったんそのハードルを越えると、あとは自由になんでも語れるようになる。大事なものってたぶん、隠したいと思っている感情のなかにあるんですよ。

小原:佐久間さんがラジオを始めるとき、スターでもない自分のしゃべりを誰が聞くんだと思った、とも書かれていましたけど、恐縮なんですが、私も初めて本を作るとき、同じような思いでした。誰も知らない奴の生活を書いて誰が読むんだと思ったときに、情けないことや恥ずかしいことならおもしろがって読んでもらえるかもしれないと考えました。私自身、情けない人に愛着がわくタイプなので。

佐久間:大人になったらちゃんとできるようになるかと思ったら全然そんなことはなかった、みたいな部分って誰しも持っていると思うんだけど、そういう情けなさをおもしろおかしく書いてもらえることで救われることはありますよね。小原さんの場合は、変えたい気持ちもあるけれど、その情けなさも大事なんだよねって肯定してくれる書き方をしてくれるので、まるごと愛してもらったような気持ちになれる。それは小原さんの文章のもつ力だなと思います。先生に恋して、フラれて、微糖のコーヒーにムカついているくだりとか、すごく好きだったな。

■他人を書くときに注意していること

佐久間宣行の言葉に熱心に耳を傾ける小原晩

――自分ではない誰かのことを書くときに、気をつけていることはありますか?

佐久間:フリートークで娘の話をするときは、何かプレゼントすればオッケーってことになっているんですよ(笑)。もちろん、これ今度話していい? と許可はとりますが、iTunesカードやクッキー缶でだいたいのことを許してくれる18歳女子も珍しいと思うので、ありがたいなと思っています。

小原:ささやかなプレゼントで許してくれるんですね。

佐久間:あとは、自分の好きな人の話しかしないようにはしています。ラジオで一方的に僕が話すと、そこにはどうしたって暴力性が含まれるから、誰かを攻撃したり悪く言ったりするようなことはしちゃいけないなと。たとえ僕が被害者になった話だとしても、相手の状況もひっくるめて笑いに変えられるときだけ、と決めています。もちろん48年も生きれば、ひどい目に遭うこともあるし、他人にネガティブな感情を抱くこともあるんだけれど、公開するエピソードには選ばない。

小原:私も好きなものや好きな人の話を選ぶようにはしています。でも私が大好きだ、おもしろい、と思ったことを書いたとしても、一方から見た景色でしかない以上、誰かを傷つけてしまう危険性からは逃げきれないとも思っています。

佐久間:「笑い」は、どうしたって暴力性を孕んでしまうもの。僕の仕事は、基本的に「笑い」にまつわるものが多いから、どんなに配慮しても誰かを傷つけるかもしれない、という前提を自覚しつつ、どうすればその可能性を排除できるかを考え続けなくちゃいけない、というのは昔から意識しています。あとは、僕が悪く言われるぶんにはまあいっか、って思いますね。関わった人たちが中傷されるくらいなら、僕が傷つくほうがいいって。

■おもしろいと感じるものをもっと増やしたい

――傷つくリスクを負ってでも、表現し続けるモチベーションは何なのでしょうか。

佐久間:番組をつくるときも、文章をつくるときも、そして今日のような対談をするときも、いつも考えているのは、自分が好きでおもしろいと感じるものが、世の中にどんどん増えていってほしいということ。そのほうが、俺自身がじじいになったときに、楽しい世の中になっているだろうなと思うからなんです。好きなバンドが解散したり、好きな劇団の新作が観られなかったりするのがいやだから、どうすれば長く楽しめるかを考えているだけ。要するに全部自分のためなんだ、って30歳くらいのころから考えるようになって、ラクになった部分はありますね。

小原:私は自分が書きたくて書いているのだから、何を言われても仕方がないと思っている部分があります。もちろん批判されたら傷つくような感じもあるけれど、何を言われても仕方がない、自分のできることはすべてやりつくしたんだから、と納得するまでやりたいなとは思っています。

■ネタそのもののおもしろさだけで判断しない

――エッセイやフリートークのネタを探すとき、使えるものと使えないものになにか差はあるんでしょうか。

佐久間:エピソード自体に差があるというより、おもしろく伝えるための組み立てを自分が上手にできるかどうか、で決まりますね。身に起きることのたいていは、誰かの経験とかぶっているし、誰も聞いたことのない話なんて、よほどの大事件じゃない限り存在しない。先ほどの話にもあったように、大事なのは自分の心がどう動いたかなんです。ただ、自分がおもしろいと思っているだけじゃ、やっぱりネタにはならないわけです。お笑いの企画を考えているときも、誰にもおもしろさが伝わらなくて採用されない、ってことは多々ありますからね。俺だけが感じているおもしろさを、どうすればみんなのものにできるか。最初はスベッていたものも、伝え方や切りとり方を変えるだけで笑ってもらえるようになるので、ネタそのもののおもしろさで判断しないようにはしています。

小原:『唐揚げ』のときは上手に書けなかったエピソードも、『生活』のなかに入っていたりします。伝え方や切り取り方にバリエーションが出てきたのかもしれないです。ただ、もしかすると、共感という入り口に頼ってしまった部分もあったかなと思います。

佐久間:共感って、やっぱり強いんですよね。だからつい、頼ってしまう。わかりやすいほうが、笑いやすいですしね。たとえば僕が「こんなの知ってるわけないじゃん」とラジオで発言したことに対して、リスナーの方から「うちの地域ではあたりまえのことなんですけど」って怒りの声が届くことがあって。「わかる」ためには前提の知識を共有していなくちゃいけないからこそ、なるべく誰もが知っていることで表現しようとしてしまう。でもそれだと、本当のことから遠ざかってしまうよなあ、というのが常に抱えているジレンマのひとつです。

小原:わからないけどおもしろい、をもっと信じたいです。自分と全然違うタイプの人って、わからないけどおもしろいですよね。密に関わるかどうかはさておき、誰かがちょっと変わった行動をとったとき、怖いとかいやだとか品がないとか思わずに、おもしろいな愛らしいな、と思う感覚のことはとくに大事に思っています。

佐久間:その感覚は、僕も同じです。『ゴッドタン』でも『ピラメキーノ』でも、なんでもそうなんですけど、僕だけがおもしろがっている、って状況が少なからずあって。それはたぶん、ともすれば引いてしまうような歪な人に、僕が惹かれてしまうからなんだろうと思います。小原さんの文章からも、近いものを感じます。

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