天然痘が蔓延る江戸時代後期を舞台とした捕物帳の新たな傑作! 木内昇『惣十郎浮世始末』インタビュー
ちゃんと調べて書かないとただの嘘物語になってしまう
――前作『かたばみ』に続いて、今回も新聞での連載小説という形になりましたが、通常の書き下ろし小説などとは書き方が違ったりするものでしょうか?
木内:作家さんによって違うとは思いますけど、私は一ヵ月分をまとめてお渡しているので、作業的にはそんなに変わらないです。ただ、大体一話が原稿用紙で2枚半なんですけど、その2枚半でリズムを作っていくところは新聞小説ならではだと思います。同じ場面が一週間とか二週間続くと、きっと読者は飽きてしまうから、そこを意識しながら場面を展開させつつも、大筋からは離れないようにするとか。個人的にそういう工夫をするのはすごく好きで、そこでリズムを作ることができるから書いていて楽しいです。2枚半書いただけで、ああ一日掲載分の仕事したな、と充実感も得られるし(笑)。長いものを書いていると、そういう気分の切り替えはなかなか感じられません。翌日に続くような余韻を残しながら、一回掲載分ずつを書いていく感じが、個人的にはすごくやりやすいです。
――連載中に、読者からのリアクションがあったりもするんですか?
木内:連載中は、お手紙もたくさんいただくし、お電話などでも意見が寄せられるようで、それを担当の記者さんがこまめに教えてくださいました。「こんなふうに楽しみにしてくれているんだな」と、すごく励みになります。
――ちなみに、今回の単行本の表紙を描かれている五十嵐大介さんは、連載時の挿絵もずっと描かれています。どういう繋がりだったのでしょう?
木内:はじめに記者の方がお名前を挙げてくださって、ぜひお願いしたい、と。五十嵐さんの絵は人物のみならず、静物の画力もずば抜けているので、連載中も「これは五十嵐さんに描いて欲しいな」と思って、いろいろなものを登場させています(笑)。「与助」という完治の下についている人物が、植物とか虫を売り歩いている設定にしたのも、実は五十嵐さんに描いて欲しいと思ったからなんです。
――なるほど。そういうやり取りは連載中にもされていたのですね。
木内:最初の段階で、登場人物たちの身長などについての設定をお渡しして、その後は五十嵐さんからも風俗や身なりについての質問をいただきました。その質問で気づかされることも多かったです。なるほど、ここは確かにわかりにくいから本文のほうでもちゃんと書いておこうとか。2枚半ごとに毎日挿絵が入るというのは他ではないことだし、しかも五十嵐さんが描いてくださるというのは、すごく贅沢なことです。
――それも、新聞小説のひとつの醍醐味であると。実際、それがこうして単行本になって、ご自身としては、どんな位置付けの作品になったと感じていますか?
木内:今まで書いてきたものとは、まったく違うものになったと思います。新聞小説ということもあり、広く読まれるものになった実感があります。ただ、いわゆる王道のエンタテインメントとはちょっと違っていて、私のひねくれた部分も入っている(笑)。時代背景をかなり細かく書いているところも含めて、一捻りあるものができたと感じています。
――いわゆる「捕物帳」を読んだ後とは、また違う読後感があったというか、登場人物たちを取り巻く状況も含めて、その時代に自分が居合わせたような、そんな不思議な余韻が残る小説でした。
木内:そう言っていただけると、ちょっとホッとします(笑)。事件を解決してすっきりみたいな感じではなく、何かしら心に残るようなものにしたかったので。登場人物はほぼ架空で実際にいたわけではないんだけど、その時代の背景や言葉遣い、食べているものも全部含めて、ちゃんと調べて書かないとただの嘘物語になってしまうと個人的には思っています。それは過去への冒涜みたいな感じがしてしまうんです。もちろん、どうしても現代を生きる自分が感じているものは反映されているはずですが、それ以外の部分は史実に則らないと、惣十郎たちが生きた人物として立ち上がってこないと思います。その時代の人たちの感覚を、すごく大事にしながら書きました。
――最後にひとつ大きな質問をさせてください。時代小説を書く面白さは、どんなところにあると木内さんは思いますか?
木内:私は小説家になる前、いろいろな方にインタビューをする仕事をしていました。実際に人に会って話を聞くと意外なことがたくさんあって、本当に面白い仕事だったんです。だから、現代の話を書くのであれば、その人に会って直接話を聞いたほうが、自分の作業としては面白いと思ってしまうところがあります。もちろん、現代を投影した素晴らしい小説もたくさんありますが、自分が書くとなった場合、現代を舞台とした小説でインタビューを超える仕事ができるかというと、あまり自信がない。時代の設定を移すことで、より本質的な部分に迫れる気がするし、長尺の歴史の中でのその地点を客観的に見つめられるよさもあります。もちろん、それには時代背景も含めてしっかり書き込まないといけないのですが。
――面白いですね。現代ものは書けるけど、時代ものは無理という人のほうが多そうですけど……。
木内:インタビューの仕事をしていた経験がなければ、また違ったのかもしれないですけど……何か恥ずかしくなってしまうんです。やっぱり、インタビューをする相手が放つものは、すごくリアルで強いじゃないですか。それを小説の登場人物に落とし込む技術が、私にあればいいんですけれど。最初に小説を書きはじめたとき、台詞を書くのがすごく恥ずかしかったんです。「こんなこと、実際には言わないよな」という風に、一歩引いてしまう。台詞を書くことは、簡単なことではないんですね。作者が登場人物を意図的に動かして、自分の言いたいことを言わせるのも怖いですし、自分の考えが登場人物の台詞に出ていることに気づいたときの絶望感みたいなものもあって。
そうならないためにも、登場人物を一回立ち上げたら、彼らを少し離れたところから観察しつつ、実際インタビューをしていくような気分で台詞を書いていくようにしています。そのあたりは、あらかじめプロットを立てないことにも繋がっていますね。純粋に江戸時代もすごく好きだし、史料探しの面白さも大きいとは思いますけれど。
――そこがすごいですよね。物語を考えるだけでも大変なのに、時代ものを書く際には、その裏付けとなるような史料にあたらなくてはならないわけで。
木内:史料を読むのは昔から趣味みたいなものなので(笑)。ただ、逆にそこからヒントをもらうことも多いです。史料をあたっていて、自分では想像もつかないような事件に出会ったり、面白いなと思うような出来事があったりするので。今回の種痘をめぐる話もそうですけれど、史料にあったことを膨らませながら、小説の中に入れ込むことができるのも、時代小説ならではの楽しさだと思います。
■書籍情報
『惣十郎浮世始末』
著者:木内昇
価格:2,585円
発売日:2024年6月7日
出版社:中央公論新社