杉江松恋の新鋭作家ハンティング とにかく変な特殊能力バトルものの小説ーー五条紀夫『イデアの再臨』
何がなんだかわからないがとにかくおもしろい。
その感覚を味わってもらいたいので、五条紀夫『イデアの再臨』(新潮文庫nex)はあまり予備知識なしに読んだほうがいい作品であることを最初にお伝えしておく。
予備知識にもいろいろあって、起承転結のプロット展開に関するものや、登場人物がどういうことになってしまうのか、恋愛なら恋愛といった関係性がどう変化するのか、といったキャラクターにまつわるものまでさまざまである。
『イデアの再臨』はちょっと毛色が変わっていて、解像度の問題と私は名付けた。最初は物語の解像度が非常に低い。物語は主人公の「僕」が自宅で目を覚ますありふれた場面から始まる。これが本当にありふれている。どのくらいありふれているかというと、「窓から差し込む陽射しが頬を照らし、僕は、目を覚ました」という最初の一文に続いて「そんな、ありふれた冒頭シーン——」と作者自らのつっこみが入ることから始まるくらいである。
その2ページ前には序文ともエピグラフともとれる3行の文章が置かれている。こんな内容である。
——これは僕が高校生の頃の物語だ。あの頃の僕たちは、現実に抗わなければ自分らしく生きられないと思い込んでいて、呆れるほど失敗を繰り返した。これは、そんな僕たちの、失われた平穏な日々を、光り輝く平穏な日々を、取り戻すまでの記録だ。
なるほど、とは思うが特に印象に残るような文章ではない。そういうことなのね、とは思う。語り手による回顧の形で全体が綴られている、というのがここから得られる情報の大部分を占めるといっていい。
さらにその4ページ前には「登場人物」と右隅に書かれた見開きがあって、それぞれの紹介がされている。「僕」の項には「主人公。平凡な高校生。向水学園高等学校二年A組に所属。」と書かれている。これで主人公がそういう属性だということがわかる。こういっちゃなんだが、特に変わった設定ではない。ごく、ありふれている。
なのだけど。
実は今書いたようなことが実は重要な意味を持ってくるのである。ええっ、そんなありふれたことが。そう、そんなありふれたことが。この小説の先で待っているのは、読者の思い込みを利用した仕掛けなのである。「高校二年生」の「僕」が登場するような学園小説を多く読んでいる人ほど、その仕掛けにははまりやすいかもしれない。その人の中には、読書体験の蓄積によって作られた先入観が存在しているはずだからだ。もちろん、あまり小説を読んだことがない人でも本作は十分楽しめるはずである。遅刻しそうになって慌てている少女が曲がり角でぶつかった少年が実はその日やってきた転校生だったという話を生まれて初めて読んだときのように。そういう設定、初めてだったらやっぱりおもしろいと思う。
前置きが長くなったついでに書くと、いささか寝坊気味の「僕」はカンカンという音でたたき起こされる。母親が叩くフライパンの音だ。今時珍しいほどのホームドラマ的場面である。もちろん紋切型であることには意味があるのだが、ここでは触れない。間もなく異常な記述が行われるため、読者の注意はそちらに集中することになるだろう。
こういう文章である。
——キッチンとは反対側の壁のカーテンレールの下に、大きな四角い穴があいていたのだ。高さは一メートルほど、幅は一・五メートル以上あるだろうか。屋外に通じていて隣の家がよく見える。こんな穴に心当たりはない。確か、昨日までは、ここに薄いガラスでできた開閉式の板があった気がする。
「薄いガラスでできた開閉式の板」のはまった四角いものが何かを読者は知っている。それは「 」だ。だが今空白の一文字が出来たように『イデアの再臨』では「 」という単語が書かれることはない。「 」という概念が言葉ごと失われているからだ。「 」だけではなく、少し後では「学校の敷地を囲うコンクリート製の」「 」が「僕」の目の前から失われる。これは世界から次々に何かが失われていくという物語なのである。
「僕」は声をかけてきたB組の金髪少年とこの謎について調べ始める。安藤竜と名乗った金髪少年は誰かによって人為的に行われた犯罪であるという。そんなことが可能な犯人像というのは見当もつかないが、安藤竜の仮説を「僕」はひとまず受け入れ、行動を共にしていく。