批評的な知性や感性が難局に立たされているーー渡邉大輔『謎解きはどこにある』×若林踏『新世代ミステリ作家探訪』対談
文芸は2007年前後が重要
渡邉:『謎解きはどこにある』には2つ論点があるんです。1つは現在のミステリ作家にライトノベルをはじめ、マンガ、アニメのようなポップカルチャー的な想像力が浸透していること。もう1つは、まさに「検索型ミステリ」というコンセプトに結実した、検索サービスに代表される情報技術、スマートフォンやAIなどのテクノロジーやツールが入りこんでいることです。それでいうと、『探訪』では、ゲームの影響とかポップカルチャーの話は結構出てきますが、限界研『21世紀探偵小説 ポスト新本格と論理の崩壊』(2012年。渡邉も寄稿)でも論じられたような、携帯電話の登場で推理の過程が中抜きされるようになったとか、情報ツールからの影響は、さほど話題に出なかったのが印象的でした。
若林:出なかったですね。ただ、技術がなにをもたらすかに興味があるミステリ作家はいるし、1冊目で逸木裕さんがAIの話をしていましたし、阿津川辰海さんも同書登場の後に『録音された誘拐』(2022年)でデジタル技術が誘拐ミステリになにをもたらすかを書いていました。インターネットやモバイル端末などが話題にならなかったのは、すでに当たり前のものと受けとられていることも大きいと思います。
渡邉:まさに擬似自然になっていますものね。
若林:面白かったのは『旋風編』で浅倉秋成さんが、ジャンル意識はあまりないと話していたこと。新聞のラジオテレビ欄でアニメを探して片っ端から見たからだというんです。前時代的な紙の新聞から情報をとりこんだ結果、ジャンルに関係ないデータベースが自分のなかにできた。デジタル技術云々とはべつに、情報収集の仕方がみんなバラバラだったのかもしれません。今村さんもそうだし、日部星花さんは学校の図書館にマンガが置いてあったそうです。
「検索型ミステリ」なら、意外と海外作品にあるかもしれません。ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(2019年)は、高校生がSNSから情報収集する話ですけど、結果をポッドキャストで随時報告する。特権的な立場でもない、イギリスの田舎町にいる普通の女の子がそうして発信し推理する。日本にありそうであまりなかった内容だと感じました。
膨大なデータベースから情報を引っ張って推理を組み立てるものは、プロファイリングを使ったシリアルキラーもので以前から書かれていたともいえます。映画になった『羊たちの沈黙』(原作トマス・ハリス。1988年)のインパクトが日本でもありましたけど、過去にも例えば、ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルの共著『バルコニーの男』(1967年)で一種のプロファイリングが出てきた。クローズドの限定された人々から容疑者を選ぶのではなく、群衆に紛れた獣みたいなやつをどうやって見つけ出すかという話です。膨大な情報から探さなければいけないという感覚は、欧米ミステリの方が潜在的に持っていたのかもしれない。
渡邉:そのように補足していただけると、とても勉強になります。僕は『謎解きはどこにある』では、かなりニッチな関心に基づいて、現代日本のミステリ作家と扱う文脈を限定したんです。具体的には、20歳前後に「ファウスト」(講談社の雑誌。中心的な作家に西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉など)系の作家たちと出会い、これこそ自分たち世代固有の文学運動だと、とても感激したんですよ。小中学校から小説が好きでしたが、日本の近現代文学をたどると、白樺派や内向の世代など時代ごとに青年が憧れた文学運動があって、それが時代のとらえ方を更新していたじゃないですか。「メフィスト」系、「ファウスト」系こそ僕ら世代の文学運動だと興奮して、その批評の面の先導者として笠井潔さんや東浩紀さんがいる状況を見ていた。それが、僕の批評の出発点の1つでした。若林さんは当時、どう受けとめていましたか。
若林:ミステリというジャンルのものさしで測っていた部分が強いですね。ジャンルにどっぷり浸かった人間だったんです。「メフィスト」のメフィスト賞の歴史をふり返ると、アバンギャルドなことをやる人もいれば、端正な本格ミステリを書く人もいた。凝り固まったジャンルの概念を、その都度塗り替えていく作家が登場してきたじゃないですか。そもそも第1回の森博嗣さん、流水さんもそうでしたし。
僕がメフィスト賞作品を意識的に読み出したのは、第13回の殊能将之『ハサミ男』(1999年)が最初。殊能さんは変なものを書きましたけど、根っこにある本格ミステリを肥しにしていた。西尾維新さんも第23回の『クビキリサイクル』(2002年)は大トリックを使ったミステリだったし、第24回の北山猛邦さんは物理トリックのど真ん中だった。なので、僕は東浩紀さんの評論も読んでいましたけど、文学運動とはとらえていませんでした。
渡邉:世代は近くても、全然違う視点から同じカルチャーを受容していたのが面白いですね。僕は脱ジャンル的にとらえていたというか、2000年代はじめに西尾維新や佐藤友哉がデビューした頃、金原ひとみと綿矢りさが芥川賞を受賞して、ミステリに限らず若手作家ブームでしたし、それらを並行的に見ていました。
映画もそうですけど、文芸は2007年前後が重要ととらえています。私は歴史(映画史)研究が専門ということもあり、歴史的な状況を俯瞰するにあたって、メルクマール的な年を設定し、その前後をジャンル横断に見て批評的文脈を作るのが好きなんです。この前後というと、川上未映子の芥川賞、桜庭一樹の直木賞受賞がともに2008年です。ミステリだと、その数年前に『容疑者Xの献身』論争があったり、SFでは伊藤計劃がデビューした。脱ジャンル的に新しい動きが起きていたんです。ボーカロイドの初音ミク発売も2007年。書籍自体で若者の支持を集めるようなコンテンツは目立たなくなり、「カゲロウプロジェクト」などのボカロ小説、ゲーム実況、ツイッター(現X)、ニコニコ動画、iPhoneなどインターネットに面白いことが拡散する境目が、ウェブ2.0といわれたその頃だと思っています。そのなかでミステリの動向も追った感じです。
――2007年は『謎解きはどこにある』第一章の埴谷雄高論のもとになった原稿が「群像」に発表された年ですね。当時の同誌編集長は、それ以前に「メフィスト」の部署にいた唐木厚氏。渡邉さんの埴谷論は、戦後文学の形而上小説『死霊』(1946-95年。未完)を「ファウスト」系の文脈で読み直すようなものですね。
渡邉:おっしゃる通りです。当時の「群像」の埴谷特集では、本格ミステリ作家の法月綸太郎さんも埴谷論を書いていました。
若林: 2007年は、早稲田大学のワセダミステリクラブへ僕が入って2年目の頃です。みんな、あまりミステリの話をせず、なにを話すかといえばアニメとか、どちらかというとボードゲームをする人が多かった。人狼ゲームは2010年代以降にポピュラーになりましたけど、サークルで流行っていました。ボードゲーム的な謎解きや論理ゲームは好きだけど、小説となると本格ミステリ嫌いが多い。なぜかずっと疑問でしたけど、渡邉さんの本にもある通り、謎の論理的解決の形式にこだわりがなくなる一方、論理の応酬さえあってピンポンみたいに続くのが好まれていた。でも、それが小説にむかわなかった。