インスタントラーメンは芸術と言えるのか? 美学者に聞く「美味しい」という感覚の正体

 食欲の秋。「美味しい」ものを食べると、幸せな気持ちになる。しかし、「美味しいとは何か」について考えた経験はあるだろうか。美学、心の哲学を専門とする九州大学大学院講師の源河亨(げんか とおる)氏の新刊『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』(中央公論新社)は、知覚に関するさまざまな文献から「美味しい」の正体を探る、知識欲と食欲の両方を刺激する一冊だ。

 人はどうやって「美味しい」「まずい」という評価をくだすのか。レビューサイトの情報は信用すべきなのか。食も絵画や音楽と同じように芸術と呼べるのではないか。食に対する疑問がするすると胃に落ちてゆく。「美味しいと感じるのは味覚だけではない」と語る源河氏に、本作について聴いた。(吉村智樹)

インスタントラーメンは芸術なのか?

『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』(中央公論新社)

――源河さんの新刊『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』を読んで、もっとも衝撃を受けたのは、「小腹が空いて食べるインスタントラーメンなど、日常的に口にする機会が多い料理も芸術であると主張したい」(第6章 芸術としての料理)というくだりでした。インスタントラーメンが、なぜ「芸術である」と言えるのでしょうか。見た目が地味で、栄養も少ないのですが。

源河亨(以下、源河):インスタントラーメンが芸術だというのは、きれいだ、美しいという意味ではありません。芸術というと、美しい絵画、有名なアーティストがつくった音楽、そういうものを思い浮かべてしまいますよね。けれども一方で、美しくない芸術作品なんていっぱいある。

 では、なぜ「インスタントラーメンが芸術なのか」というと、過去を振り返ってみると、芸術には既成の枠を壊そうとしてきた歴史があるんです。現代美術だって一千年前の人に見せたら、きっと「こんなものは芸術じゃない」と言うでしょう。インスタントラーメンがあんなに手軽に調理できるのも、カップラーメンがお湯を注ぐだけでできあがるのも、前例を覆そうとしてきた歴史があるからです。

――確かにインスタントラーメンには、現在の味になるまでに、きっと幾多の試行錯誤があったでしょうね。

源河:芸術を理解するうえで、「積み重ねた文化」を知ることはとても大事です。絵画、音楽、彫刻など、芸術作品は古代からすでに存在しています。それらを踏まえたうえで、「ちょっと変えよう」「新しいジャンルをつくろう」とチャレンジしてきた文化があるわけです。何気なく口にしたインスタントラーメンも、美味しくなるために積み重ねられた文化がある。「芸術ってどういうものなのか」を理解していくと、「インスタントラーメンも芸術に入ってくるんじゃないの」となるのです。

――なるほど。この本は、料理も芸術的と言えるほど美しく調理できる、という内容ではなく、料理を介して芸術や美学に対する考え方を提示しているのですね。

源河:インスタントラーメンが芸術である、というより、芸術とは何かを考えるきっかけとして、インスタントラーメンがある、そう捉えていただくのがいいと思います。私はグルメではないし、食にお金をかけることはほとんどありません。この本で扱っている食べ物は、ラーメン、カレーなど、わかりやすいものばかり。食通が書いた本だと思った人にはガッカリされるだろうけれど、食にこだわりがあったわけではないのです。

美学が哲学の世界で味覚が「低級だ」と軽視される理由

――「ラーメンは芸術か?」という話にもつながりますが、食べ物はよほど高級料理ではない限り、美学や哲学の研究対象には、あまりならないのだそうですね。

源河:食べ物を「美味しい」「まずい」なんて言うのは「動物的だ」「低級感覚だ」とね。匂いを嗅ぐ行為がさらに動物的ですから。音楽や絵画を批評するのは高度な思考の働きによるものだけれど、味覚は単なる本能であり、「味の好みは人それぞれ」で済まされてしまう。それゆえに軽視される傾向があります。

――食べ物だって音楽や絵画と同じように、「感じる」という点では同じだと思うのですが。

源河:そうなんです。私は日頃、知覚に関する研究をしています。知覚研究や知覚心理学の世界では、「五感」(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五つ)はバラバラに働いているのではなく、感覚の相互協力、情報交換によって得られるものなのだと、当たり前に語られているのです。それなのに美学や哲学の世界では、味覚は感覚として低いものとみなされているのが現状です。

――源河さんは、食べ物を「美味しい」と感じることも、高度な反応だとお考えなのですね。

源河:そうです。たとえば食事のとき、隣にタバコ吸っている人や香水の匂いがきつい人が来ると、なんだか味も変わっちゃったように感じるじゃないですか。それは五感の働きによる作用だと私は考えます。「食べ物は果たして味覚だけで味わえるのか」「美味しいとは味覚だけを指すのではなく、芸術を鑑賞するのと同じように五感の相互協力によって生まれるものではないのか」。それを理論的に裏付けたかったのが、この本を書いた動機ですね。

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