ブレイディみかこ 初小説に託した思い「他者への想像力を育てるには文化の果たす役割が大きい」

固定観念は時代や国が違ったら変わる

――ミアというキャラクターには、ブレイディさんご自身の体験も含まれているんでしょうか?

ブレイディ:かなり入っています。中高生時代の私を知っている友達には、「半分自伝だよね」と言われたくらい(笑)。学生時代、友達と学食へ行っても、私はパン一つしか食べられなかったことがありました。周りは裕福な家庭のエリートと呼ばれる子たちが多かったので、そういうときは「今ダイエットしてるの」って嘘をついていたんです。裕福な人たちって本当に貧しい人が傍にいてその状況を目の当たりにすると傷つくというか、ちょっとした罪悪感を覚えると思うんです。「実は今借金取りから家に電話がバンバンかかってきててさ」なんて言ったら、その場の雰囲気も暗くなりますしね。だから、ミアが友人たちに自分の状況を打ち明けられないという心情はそのまま私です。そういう環境の子どもが感じていることは、何十年経っても変わっていないと思います。ただ、重ねているのはあくまでも内面的な部分で、体験についてはもちろん私のティーン時代をそのまま持ってきたわけではないです。

――ブレイディさんはロックに憧れて1996年に日本からイギリスへ移住されていますよね。この点も、ラップや本と出会って自分の世界を変えようとするミアと重なるなと感じました。当時のブレイディさんの行動力の源はなんだったのでしょうか?

ブレイディ:やっぱり本と音楽にもらいました。本は、中学生くらいの時に読んだ瀬戸内寂聴さん(当時は瀬戸内晴美)の大正時代の女性の伝記小説シリーズですね。これは伊藤野枝、金子文子、岡本かの子、田村俊子と、ちょっと破天荒な生き方をした女性たちの評伝で、たとえば岡本かの子は夫と愛人と3人で住んでいたり、伊藤野枝も女性の解放を後押ししながらも恋多き女で奔放だったり、今では考えられないようなもの凄い生き方をした人たちのことが書かれています。そういうシリーズの本が当時はベストセラーになっていて、普通の主婦や学生が国家に抵抗したアナキストの女性について読んだりしていた。もちろん寂聴さんの筆力で面白く書かれていたこともあると思うんですが、すごい時代ですよね(笑)。だから私の家にも祖母の家にもシリーズの本があって全部読んだんですが、大正時代の女たちってすごいんです。肝の座り方が違う。世間一般の女性に与えられた役割や習俗を、本気で打ち壊そうとしていたんだなっていうのがわかって、すごく力をもらいました。

 それから、自分が貧乏で一番きつかったのって、日本には「貧しい=恥ずべきこと(ダサい)」という風潮があったことだったんですよね。でもポストパンクやイギリスのバンドって、労働者階級であることが「かっこいい」んですよ。だからその時代のイギリスのロックシーンでは、ミドルクラスの人が「自分は労働者階級出身だ」って逆に嘘をついていたくらいです。それを高校生の時に知って、「私みたいな育ちの子どもがかっこいい世界があるなら、私はイギリスに行くべきじゃないか」と思ったんです。日本で信じられている固定観念や既成概念は、時代や国が違ったら変わるんだなって気づいたときが、私にとってのもう一つの扉が開いた瞬間でした。

――たとえば今の情報収集の中心になっているSNSでは、友達の生活や自分の興味関心ごとなどの身近な情報が入ってきがちですが、遠くの世界を知ることも自分の世界を広げるためには必要なのかもしれませんね。

ブレイディ:SNSって間違った情報もたくさん書かれているし、逆に小さな世界で凝り固まっちゃってる気がするんです。いかに自分のコミュニティに響く言葉を投げるかしか考えていない人も多いし、ちょっと違うことを言うと叩かれて弾かれちゃうこともあります。SNSで語られていることが小さなコミュニティの固定観念になっていて、それがたくさんあるのは、正直とても窮屈ですよね。だからSNSだけを信じるんじゃなくて、直接現地にふらっと行ってみたらいいんじゃないかなと思います。

まだ知られていない良いものを紹介したい


――作中に出てくるミアのラップも印象的ですが、このリリックはどのように制作されましたか?

ブレイディ:実は最初、全部英語で書いてしまおうかと思っていたんです。私自身はラップをしたことはないですが、息子がラップを作ったりしているので手伝ってもらって書こうかと試みたんですけど、そこだけいきなり英語になるのもおかしいし、どちらにせよ日本語の訳は載せなくてはいけない。でも英語で韻を踏んで、さらに日本語の訳でも韻を踏むのってほぼ不可能じゃないですか。それならもう英語は捨てて、最初から日本語で書こうと決めました。

 ミアのラップは、作中にも出てくるケイ・テンペストというノンバイナリーの詩人を意識しています。ケイ・テンペストはラッパーというより詩人で、スポークン・ワードアーティストというジャンルに入ります。小説や戯曲も書いていて、詩人としてはテッド・ヒューズ賞を受賞し、音楽の方ではマーキュリー賞にノミネートされたこともあります。息子は授業でケイ・テンペストの書いた戯曲を読んでいましたし、あるカレッジの英文学の教室には、20世紀の欄にヴァージニア・ウルフ、21世紀にケイ・テンペストの写真がディスプレイされているのも見ました。イギリスではそれほど有名な存在なのに、日本ではあまり知られていないんですよね。『ele-king』という音楽サイトの雑誌で7、8年前に、まだケイト・テンペストという女性名だった頃、紹介したこともあるんですが、全然とっつきが良くなかったです(笑)。だから、『両手にトカレフ』で改めてケイ・テンペストを紹介したいっていう気持ちもあって。金子文子の文章を読んで、ケイ・テンペストのラップを聴いて、ミアはラップを書き始めたので、彼女のラップはケイ・テンペストが書きそうな感じの、ポエトリーでもありラップでもあるようなものにしました。

 優れた人を紹介したいという思いで組み込んだという点では、実は金子文子も同じなんです。同じ時代を生きた日本の二大アナキストである伊藤野枝は、今NHKで彼女の生涯を描いた『風よあらしよ』というドラマが放送されているので話題になっていますが、金子文子は彼女と比べるとあまりにも知られていない。私はもともとノンフィクションライターだから、お話だけを書くのではなく、音楽でも人でも、まだ知られていないすごく良いものを著作の中で紹介していきたいという気持ちが常にあります。

――先ほどラップ好きな男の子がPodcastで本作を紹介していたというお話がありましたが、彼がこの本に出会ってケイ・テンペストを知ったとしたら、まさにその役割を果たしていますよね。そういう意味では、本当にいろいろな要素が組み込まれた本だと思います。

ブレイディ:どうしてもいろいろな要素を入れたくなっちゃうんですよね。もともと小説を書きたかったわけじゃないし、今でも「小説を書きたい!」と強く思っているわけじゃないんです。ジャンルはなんでもいいと思っています。自分でも小説を舐めてるんじゃないかって思いますけど(笑)。評論だろうがエッセイだろうが小説だろうが、自分の書きたいことを書くのに一番適した形式を選ぶだけです。私がノンフィクションを書く時は多くの要素を一つの作品の中にぶち込むので、今回の小説でもそうなっちゃったのかもしれません。

関連記事