『ダンダダン』の凄みは“画力”にアリ! 極限まで台詞を削った表現でたどり着いた境地

 『ダンダダン』の凄さは、言葉に頼らず、画の力で物語を描き切ろうといていることだろう。

 だからこそ物語に解釈の幅が生まれ、「哀しいけど滑稽」「絶望的だが救いを感じる」といった複雑な手触りを表現することに成功している。

 ターボババアもアクロバティックさらさらも元ネタのある近代怪異だが、そもそも妖怪自体が不気味かつユーモラスな存在だと言える。

 龍幸伸が描く妖怪も、ビジュアルこそ不気味な造形をしているが、名前はターボババアやアクロバティックさらさらといったユーモラスなものとなっており、性格や行動もコミカルでどこか愛嬌が感じられる。

 このシリアスなビジュアルとコミカルな名前やキャラクターのギャップこそが『ダンダダン』の物語に独自の味わいを与えている。それは物語においても同様だ。16~17話でアクロバティックさらさらの過去を描ききったことで「大人の哀しいドラマ」という苦い味わいまで取り入れてしまった。

 戦いの最中に、敵の哀しい過去を見せることで物語に深みを与えるという演出は『鬼滅の刃』(集英社)を筆頭とするジャンプ漫画が得意とする手法だが、龍幸伸は台詞を極限まで削り、画で見せることにこだわることで、完全に自分のものにしたと言えよう。

 そして、結末も素晴らしい。アクロバティックさらさらに変化した女性は、愛羅を実の娘だと勘違いし、10年以上も彼女を見守り続けていた。最終的に自分の炎(オーラ)を与えることで赤の他人だった愛羅を救うのだが、助けられた愛羅は彼女を抱きしめる。

 愛羅に抱きしめられたことで娘との幸せだった日々を思い出した彼女は成仏して消えていく。仏教的な救いすら感じさせる素晴らしい締め方である。

 なお、それ以降のエピソードでは、突然、学校を異空間に変えた宇宙人と、綾瀬、オカルン、愛羅の対決が描かれる。ターボババアとオカルンが融合して戦うように、なぜか復活したアクロバティックさらさらと愛羅が融合して戦う姿をみていると、「さっきの感動は何だったんだ?」とちょっとだけ思ってしまうが、アクションが超絶カッコいいので画の力で説得してしまう。この振り幅の広さも『ダンダダン』の魅力である。

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