私たちが「何もしない」時間とともに失ったものは? 米 美術家が警鐘鳴らす「注意経済」の脅威
SNSへ何かを投稿するほど、より多くの情報が蓄積されるほど、私がほんらい持っていた可能性は狭められ、偶然への扉は次々に閉ざされていく。なぜならアルゴリズムとは絞り込みなのだ。しかし「人生を意義あるものにしてくれるものごとの多くが、偶然のできごと、妨害、セレンディピティに由来すると、私たちは今でもわかっている」と著者は反論する。友人とは、スポティファイのプレイリストではなく、血の通った人間なのだ。たまたま知り合った、何の共通点もない誰かと話し合う瞬間にこそ、私たちが生きている社会の真の姿が浮かび上がるはずである。私たちは、口では「多様性(ダイバーシティ)が大切だ」と言いつつ、自分が関係する他者を注意深く選別し、絞り込んでしまってはいないか。本当の意味での他者に出会おうとすれば、やはり「何もしない」ことが重要になってくる。こうした危機意識を抱くために必要な視点が、『何もしない』には備わっているのだ。
『何もしない』の美点はまた、私たちには社会を変える力があると信じているところにある。この楽観性が、読んでいて実に気持ちいいのだ。確かに注意経済は手ごわいし、対抗するのが難しい。しかし、私たちはアルゴリズムとは違うきっかけで人と出会うことができるし、ソーシャルメディアから距離を置いて自分の人生について考える時間を持つことができるはずだという希望が、この本にはあふれている。「何もしない」でいることは本当に難しい。それが、この本を読むまで気づかなかった最大の発見だった。