IT革命、ケータイ小説、ライトノベル……“ゼロ年代”に文学はどう変化した? 文学批評の衰萎と女性作家の台頭

 21世紀の純文学は、IT革命への不安から始まった。とりあえず、そう書きだしてみた。この分野の代表的な小説誌の1つ、「文學界」の2001年4月号では「「IT革命」下の文学と言葉」という特集が組まれ、書家・石川九暢の「〈電子便〉的文体批判」と題した評論が掲載された。目次ではそのタイトルに「文体を欠いた「前言語」が、文のごとき体裁をもって流布されることは言語史上の異常な事態だ」という一文が付されていた。いかにも苦々しい気分が伝わってくる惹句である。

 紙に文字を手書きしたものが活字になって印刷され、本として流通する形で培われてきた文学の伝統が、新登場のメディアに脅かされ変質してしまうのではないか。同種の議論は、ラジオ、映画、テレビ、ビデオに対してもあったし、1980年代の純文学雑誌では普及し始めたワープロで小説の文体は変わるのかと議論があった。文学界隈でその種の危機感がいっそう高まったのが、ゼロ年代とも称される2000年代だ。

美嘉『恋空』

 「文學界」は、2008年1月号では「ケータイ小説は『作家』を殺すか」なる特集を組んでいる。文章の書き換えや編集が容易になったワープロ機能を有したうえでインターネットに接続し、不特定多数にむけて一般人が文章を発信できるようになった。しかもケータイのような小型機器でも接続可能であり、素人が投稿サイトに自作小説を気軽にアップできた。しかもそのケータイ小説が書籍化され、美嘉『恋空』(2006年)などベストセラーになるケースが相次いだのである。

 当時のケータイ小説は、性や暴力、恋人の死といったわかりやすいトピックが続く半面、物語全体の整合性がゆるく、描写の薄いものが多かった。でも、売れた。

 大まかにいうと小説の世界は、芥川賞の対象となる純文学、直木賞の対象となるエンタメ小説に分けられる。心理の掘り下げや実験的取組みなど文学性が望まれる前者と、物語の面白さなど大衆性を求められる後者は力点に違いがあっても、明確な差はない。ただ、いずれも、人間が描けているかが評価基準としていわれることが多い。それに対し、整合性を欠き人間を描けているとはいえないケータイ小説は、場面ごとに読者の喜怒哀楽を引き出してカタルシスを覚えさせる、感情のサプリメント的な効果をもたらすものだった。

 また、ゼロ年代半ばには文学周辺でライトノベルを論ずるブームもあった。マンガ、アニメ、ゲームの影響を受けた世界観で書かれ、キャラのイラストが重視されるこのジャンルは、すでに1980年代頃から市場を拡大していたのである。だが、舞城王太郎や佐藤友哉など、その影響を感じさせる作風で出発した作家が一般文芸へ進出する例が続き、あらためてライトノベル論が語られることになった。萌えなどある種の型を有したキャラが設定されるライトノベルも、人間を描くべしとする芥川賞や直木賞の価値観とは差がある。

 それまで直木賞的なエンタメ小説との拮抗で立ち位置を示してきた純文学は、両者の外部にあったインターネット、ケータイ小説、ライトノベルの言葉の隆盛を意識せざるをえなくなった。当時のようなテイストのケータイ小説は一過性のブームにすぎなかったが、ネットの小説投稿サイトはその後もカルチャーとして定着している。

 なぜ純文学が外部を強く意識するようになったのか。売れなくなったからだ。この原稿は、しばらく前に書いたJ文学回顧の続編にあたる(“J文学”とは何だったのか?:https://realsound.jp/book/2020/06/post-567815.html)。日本のCD売上のピークは1998年だったが、そのジャケットデザインに本の表紙を近づけるなど、音楽と関連づけるイメージ戦略がとられたのがJ文学だった。そうすることで停滞する純文学を活性化しようとしたわけだ。だが、J文学の話題は数年で終息し、CD販売も以後は減少して音楽と接する場の中心はネットやライブへ移っていった。

 1990年代はじめのバブル景気の崩壊に遅れて訪れた1990年代後半の音楽バブルも弾け、経済の低迷がいよいよ本格化したゼロ年代には、非正規雇用が増え格差社会が進行した。「文藝」は1998年の別冊「‘90年代J文学マップ」で現代作家をリスト化したが、2008年夏号「特集 作家ファイル1998~2008」、2017年秋号「特集 176人による現代文学地図2000→2020」でも同様の企画を行っている。約10年ごとのこの定点観測を追うと、文学界隈のおおよその推移はつかめる。

 「文藝」2008年夏号の特集で斎藤美奈子と対談した高橋源一郎は、それまで10年間の小説について「戦後文学」だったと述べている。バブル崩壊を経済戦争における敗北とする同時代の論調に乗った形だ。その議論の延長線上で斎藤と高橋は、文学の主題が東京から地方へ移ったと語る。

 J文学の代表とみなされた阿部和重は『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)で戦争状態の渋谷を描き、Jポップ先端のムーヴメントだった渋谷系との親近性を連想させた。だが、彼のゼロ年代の代表作『シンセミア』(2003年)は、山形の地方都市で権力を握る一族を中心にした暴力と性と陰謀の大長編だった。

阿部和重『シンセミア』

 東京の日比谷公園を舞台にした『パーク・ライフ』で2002年に芥川賞を受賞した吉田修一も、後に『悪人』(2007年)が注目を集める。それは土木作業員の男が出会い系サイトで知りあった女を殺害した地方の事件を扱ったものだった。

吉田修一『悪人』

 ゼロ年代には、情報の集中や経済の牽引といったキラキラした東京ではなく、地方の閉塞、あるいは都会でもフリーターのような収入が不安定な生活を題材にした作品が増えた。

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