世代別の音楽ライターが厳選 Mrs. GREEN APPLE、back number、フジファブリックら時代の景色を映しだす夏曲の名歌詞

 ユニバーサル ミュージックが、この夏を彩る「#夏うたベスト100」キャンペーンを実施中だ。フジファブリック「若者のすべて」、Mrs. GREEN APPLE「青と夏」、back number「高嶺の花子さん」などを筆頭に、日本の夏を彩る様々な楽曲がラインナップされた同プレイリスト。リアルサウンドでは、世代別の音楽ライター3名がプレイリストから3曲ずつセレクトしたレビューを展開する。平成〜令和をまたいで日本の音楽シーンに登場した、様々な時代の夏の風景を感じてもらいたい。(編集部)

瀬尾悠人

ライター。広島県出身。映画、音楽を中心に国内外のポップカルチャーをウォッチ。批評でもライブレポートでも産業構造でも。

スピッツ「渚」

スピッツ / 渚

 不思議な曲だ。日本の夏を代表する名曲でありながら、スピッツの『渚』には「夏」「海」「太陽」「花火」といった、季節を直接示す言葉が一切登場しない。代わりに響くのは、「波の音」「六等星」「砂漠」「幻」、そして「水」。どれも抽象度が高く流動的な事象ばかりである。草野マサムネが詞の中心にぽっかりと開けたその「空洞」へ、聴き手は各々の記憶や喪失を流し込む。そうして初めて、それぞれの心の中に自分だけの「渚」が立ち上がるのだ。つまりこの楽曲は、スピッツという存在と、いまスピッツを聴いている私たちとが触れ合い、溶け合う、その境界線そのものとして機能している。作品と聴き手が交わるこの「渚」にこそ、最も強く、純粋な感情が宿るのである。もし固有の海辺を克明に描いていたなら、その夏はひとつの時代の記録として、美しく古びていただろう。この曲は、特定の誰かの、特定の年の夏には決して属さない。属さないまま、現在進行形で再生されるたびに、私たちのあらゆる夏へ、そして未だ見ぬ未来の記憶へ向かって、いまもなお永遠に開かれ続けているのである。

フジファブリック「若者のすべて」

フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

 中学の部活帰り。汗と制汗剤の匂い。坂の上に住む友達たちに付き合って、意味もなく坂を登った。家はすぐそこなのに、まっすぐ帰るのが惜しかった。友達が一人ずつ家へ消え、最後は私だけが坂を降りる。『若者のすべて』が歌うのも、そんな帰り道の時間だ。「真夏のピークが去った」と天気予報士が告げ、「夕方5時のチャイム」が鳴り、街灯が点る。夏の終わり。一日の終わり。若さの終わり。同じ「終わり」が幾重にも重なって押し寄せる。〈世界の約束を知って それなりになって〉。世界の約束。すなわち、永遠に続くと思われた全能感は失われ、すべては有限であるという身も蓋もない真理。我々は皆、見事に「それなり」の大人になった。今の私なら、あんな暑い坂は登らない。真っ先に冷房の効いた家へ帰るに決まっている。寄り道なんてしている暇はないのだ。意味のないことに耐えられない身体になってしまったのだから。だが最適化された日常を突き破って、あの汗臭い、意味のない夕暮れがフラッシュバックする。変わってしまった自分。変わらないままの中学生の夏。その激しい揺れは、終わらない。終わるはずがない。

椎名林檎「長く短い祭」

椎名林檎 - 長く短い祭

 歴史的仮名遣いで綴られているにもかかわらず、『長く短い祭』からは時代の匂いがしない。タイトルが掲げる「長く短い」という矛盾は、そのまま歌詞全体を貫く思想でもある。〈万代(とこしへ)と刹那の出会ひ〉。永遠と刹那が、何のためらいもなく交差する。多くのラブソングが永遠を願うのに対し、この曲は〈永遠なんて素気ないね〉とそれを軽やかに退け、〈ほんの仮初めが好いね〉と、終わりゆく時間の方を選び取る。そして極めつけが〈獰猛な命燃やす匂ひ〉という一節だ。燃えてしまうからこそ命は獰猛であり、終わるからこそ生は香り立つ。その思想は音にも貫かれている。最も古い言葉を、オートチューンという最も人工的な声が歌い、その下ではブラジル音楽を思わせる祝祭的なビートが執拗に鼓動を刻む。古典と現代、機械と肉体。一見交わらない要素を衝突させながら、この曲は永遠ではなく有限を祝福する。終わるから祭なのではない。終わると知ってなお燃え尽きようとするからこそ、この祭はあまりにも「長く」、そして残酷なほどに「短い」のだ。

松本侃士

音楽ライター。映画ライター。1991年10月生まれ。慶應義塾大学卒。2014年、ロッキング・オンに新卒入社。2018年の退社後、IT企業で働きながらライターとして活動中。

Mrs. GREEN APPLE 「青と夏」

Mrs. GREEN APPLE - 青と夏

 この曲がリリースされたのは、平成最後の夏である2018年の7月。しかし驚くべきことに、同曲の存在感は令和時代に突入して以降年々増し続けている。力強い確信を持って歌い届けられる〈主役は貴方だ〉〈映画じゃない 僕らの夏だ〉という歌詞には、一人ひとりのリスナーを、夏という青の季節の主役へと引き上げる魔法のような力がある。「青と夏」というタイトルのとおり、この曲は、今まさに青春の季節を謳歌している人を讃え上げ、また、これから青春の季節を謳歌しようとしている人の背中を押す役割を、あまりにも見事に果たしている。なお、2番には、〈大人になってもきっと 宝物は褪せないよ 大丈夫だから 今はさ 青に飛び込んで居よう〉という一節があり、この歌詞は、2024年にリリースされた「ライラック」の一節〈あの頃の青を/覚えていようぜ/苦味が重なっても/光ってる〉と深く響き合っている。「青と夏」と「ライラック」の〈青〉のコンボによって、ミセスは、青春のその先の季節を生きる人をもメッセージの射程に含めてみせた。これから先、どれだけ年月が経とうとしても、また、どれだけ年を重ねていったとしても、これからも私たちは、夏が来るたびミセスの音楽に背中を押され続けてゆく。

RADWIMPS 「夏のせい」

RADWIMPS - 夏のせい [Official Music Video]

 2020年、コロナ禍に突入して迎えた最初の夏にリリースされた楽曲。あの夏、世の中には、先行きの見えない不安や、様々な行動制限を強いられることによる閉塞感が満ちていて、それ故か、当時この曲は、そうした非日常な日々の中で、どこかファンタジックな響きを放っていたと記憶している。特に、〈夏のせいにして 僕らどこへ行こう 恋のせいにして どこまででも行こう〉という歌詞は、どこにも行くことができない現実との乖離も相まって、胸を穿つ切実さをたたえて響いていたことを今でもよく覚えている。しかし、時を経て改めて聴いてみると、不思議なことに聴こえ方が大きく変わる。夏を巡る金言がいくつも凝縮された同曲の中で、特に眩い輝きを放っているのがラストの歌詞。〈異端者も科学者も夢想家も解けたことない命題を今僕たちの手で〉という一節は、夏という季節が帯びる神秘性を、〈胸踊るものだけが呼吸するこの季節に いついつまでも取り残されていようよ〉という一節は永遠性を伝えていて、こうした歌詞は、今聴くと私たちの日常に鮮やかに馴染んでくる。歌詞に即して言えば、〈僕らが跡形もない3000年後も何ひとつ変わらずに〉この曲は普遍的な夏曲として輝き続けていくと思う。

My Hair is Bad 「君が海」

My Hair is Bad – 君が海

 この曲は、〈この夏が最後になるならその横顔だけでいいから ずっと忘れない〉という一節から幕を開け、〈あの夏がもう来なくてもいつまでもあの海が君 君が海〉という一節によって締め括られる。いわばこの曲は、最後の夏が終わってしまう予感が現実へと変わりゆくプロセスを悲痛なほどのリアリティをもって描いた曲であり、夏という季節が帯びる刹那性を残酷なまでに鋭く象っている。成人になっても、学生時代を終えても、ライフステージが次々と変わっていっても、記憶の中の"かつての夏"の風景はいつまでも色褪せることはない。むしろ、時が経てば経つほど、切実さを増してフラッシュバックしてゆく。この曲を再生するたびに、"かつての夏"の温度や生々しいフィーリングが狂おしいほどのリアリティをもって甦ってくる。リリース当時、椎木知仁は20代後半。筆者は椎木と同じ年で、そうした親近感も相まって、当時、この曲をリリースした椎木に深く共感したことをよく覚えている。また、リリース当時に聴いた時にも胸を締め付けられたが、30代前半から半ばに差し掛かろうとする今のタイミングで聴くと、さらに深く胸を穿たれてしまう。この曲が誇る切なさは、この先、年を重ねるたびにさらに研ぎ澄まされていくのだと思う。

小川智宏

音楽ライター。元「ROCKIN’ON JAPAN」副編集長。インタビュー、レビュー、ライブレポートなどを雑誌、WEBで広く執筆中。

back number「高嶺の花子さん」

back number - 高嶺の花子さん (full)

 夏は恋の季節というが、残念なことに燃えるようなひと夏の恋など、ついぞ経験したことがない。たぶんこれからもすることはないと思うのだが、それでもこの時期が来るたびに「今年こそいつもと違う夏になるのではないか」という淡くて浅はかな期待が胸の奥で目を覚ます、あの感覚はいったいなんなのだろうか。マンガや映画の観過ぎか、あるいは暑さで思考能力が低下しているのかはわからないが、〈見たい となりで目覚めて おはようと笑う君を〉とか〈今すぐその角から 飛び出してきてくれないか〉とか、たぶん、いや絶対に無理だろうなと思うような悲しいファンタジーを、back numberは〈夏の魔物〉と呼ぶ。恋心が止まらないのも、あらぬ妄想を繰り広げてしまうのも、全部夏のせいにしてしまえばいい。清水依与吏は心躍る4つ打ちのリズムにのせてそう歌う。でも一方では「どうせ」という気持ちも拭えないから、妄想したそばから〈僕のものに なるわけないか〉と自嘲する。俺なんかにはあの子は結局「高嶺の花子さん」なんだと。切ない。でもどうしようもなくわかる。俺だけじゃないんだな、といつもの夏を過ごす自分がちょっとだけ救われる感じがする。

クリープハイプ「リバーシブルー」

クリープハイプ - 「リバーシブルー」 (MUSIC VIDEO)

 尾崎世界観はこの曲のタイトルに自身の名曲「オレンジ」との対比で「ブルー」という言葉を使ったという。正反対の気持ちを行ったり来たりしながら自分で自分の気持ちすらも定まらない、だから「リバーシブルー」。これが明確に夏の曲なのかは定かではないが、確かに夏には「ブルー」がよく似合う。それは空の青であり、海の青であり、そして青臭くて憂鬱な心の青だ。キラキラと弾ける水しぶきみたいなギターの音色も、砂浜を走るように軽やかに刻まれるハイハットも、輝く水面を滑るように進むメロディもとても爽やかなのに、歌詞に描かれる心のなかは解けない靴紐のようにこんがらがって、脱ぐに脱げないままに〈また靴擦れ〉になってしまう。そんな面倒くさい気持ちを〈会いたくない会いたくない会いたくない〉の繰り返しに込めて、この曲は「わかってよ」と叫んでいる。言わなくても伝わるなんてこれっぽっちも思っていないけど、言ったら言ったでまっすぐに伝わらないから、こうやってひねくれた思いをひねくれたまんまで差し出すしかない。そういう意味で、どうしようもなく正直な、ビーチサンダルを履いていてヒリヒリ痛む親指の付け根みたいな歌だ。

PEDRO「夏」

PEDRO / 夏 [OFFICIAL VIDEO]

 〈ねえ、話をきいて 少しでいいよ〉という第一声から、いきなり太陽の下に飛び出して、そのままかき鳴らされるギターとともに全速力で駆け抜けていくような痛快で爽快なサマーチューン。この曲がリリースされた2021年はコロナ禍の真っ只中で、いつもどおりの夏なんてどこにも存在していなかった。だからこそ夏への思いが爆発したのか、アユニ・Dの書く歌詞はとにかく無敵である。〈退屈な世界と見下していたけど ここは面白いものが沢山詰まっている〉とか〈どうしようもないこと全てに 生きてる心地がしたのさ〉とか、この曲で彼女の目に映る景色は、全部がキラキラと光を反射して輝いている。〈火花が灯っては消えていくんだ 秋の風がぴゅうと吹いてきて 最後の線香花火が落ちてく〉と、「すぐ終わってしまうよ」という予感も漂っているのが切ないが、だからこそ夏は尊い。そう、うるさいほどに鳴いている蝉がそうであるように、あっという間に終わってしまうのを知っているから燃えるのだ。でも蝉と違うのは、その先も人生が続いていくということ。この曲の全力疾走は、〈また夏まで生きようか〉という最後のフレーズのためにある。

■プレイリスト
【#夏うたベスト100】
https://sp.universal-music.co.jp/summer-songs/2026/

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